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映画とどこかまで行こう

主に観た映画の感想を。新作・旧作、劇場・DVD鑑賞混じります。時々テレビドラマも。

ジュラシック・ワールドを観てたらフレンチアルプスで起きたことを思い出した話

『ジュラシック・ワールド』は楽しく観た。恐竜恐い!可愛い!そこでお前が持ってくか!頑張れ子供たち! …まあそういった件については、語り尽くされているだろうから置いておいても大丈夫と思う。

基本的にちょっとキャラクターの感じが古風で。くるんくるんの金髪の可愛い子役(弟)とか、大自然に立ち向かい、そして手懐けるカウボーイ風元祖アメリカンヒーロー的な頼もしい男性とか、ハイヒール履いたままずっと走り回ってるけど大丈夫?(いや、そんな現実的問題は映画だからどうでもいいのか)なヒロインとか*1子役(兄)は、ちょっと醒めたポーズとっててスマホいじってばっかなのは今風なんだけれど、車を修理できちゃう辺りが理想のアメリカの少年っぽいなーとか。
 
そんな鉄板ともいえる世界を揺るがしたのが、子供たちの母親の様子。
何だかやたらめそめそと感情的なのだ。妹(ヒロイン)にかける電話の様子も何だか妙。仕事に忙殺されてそれどころではない妹に対し、「子供たちに久しぶりに会いたいと思ったのに!」「あなたも家族の温もりを味わうべきだわ!」的な態度。そして、子供たちが心配で心配でと泣き、「あなたも子供を産めばわかるわよ!」という、(私も含む)独身女性全員をイラっとさせる定番台詞。何だこの人ッ!と、ここでは思う。
(この場面で、「子供たちにはイギリス人アシスタントをつけてるから大丈夫よ、ナニーを発明した国の人だし」的な発言があって笑った)
 
その後、子供たちの会話で、両親が離婚協議中らしいと判明。下の子は「そうなったらどうしよう!」とベソをかいていて(「弁護士からメールが来ていて、ググってみら離婚弁護士だった!」とあんな小さい子が言うんだから、インターネットって時に罪だなぁ)、さっき母親が不安定な感じだったのはそういうことか!と腑に落ちるのだった。今回の子供たちの旅行は、両親の話し合いのためだったのかもね…。
 
ここでふと、先日観た『フレンチアルプスで起きたこと』を思い出した。あの映画も、「母親とは!」とプライドを持つお母さんが出て来て、ひょんなことから夫婦関係が危うくなり不安に揺れ、子供たちも「両親が離婚したらどうしよう!」とおろおろしていた。*2
 
映画の中の「お母さん像」って時代時代によって傾向があって、シングルマザーばっかり出て来る時もあれば、働き詰めでさっぱり子供に構わない母親が流行ってる時も、父親より母親の収入が遥かに高い両親っていうのがやたら眼についた時もあった。
今はぐるっと回って「母親としてのプライドを持ちつつ、不安を抱えた主婦」が時代の象徴なのかなぁ、とちょっと思った。
 
女性像っていうのも本当に多様化して、今や「正しいあるべき姿」っていうのがない訳で(大昔だったらそれこそ「子供をしっかり教育し、家庭を守るお母さん」だったのだろうが)。そうなると、それぞれ自分にないものにコンプレックス持ったり、もしくは現在の自分に過剰にプライドを持ってしまったりして、価値観の押しつけ合いで女性同士で軋轢が生まれることも、自分の中で迷いが生じることも、増えたのかもな。「正しい母親像」を自分で作ってて、そこに"父親と母親が仲良くて、可愛い子供たちがいて…"って理想型を持っちゃうと、それが離婚危機等で揺らげば、アイデンティティまで危機になったり。
「色んな立場や価値観があってよし!みんな素敵!途中で変えてもOK!」とはなかなかなれませんよな、などと、恐竜映画を観ながら色んな女性像に想いを馳せてしまった。ま、自分自身の人生に、達成感と後悔のないまぜを見る年だからでしょう。
 
フレンチアルプスの家族は、子供の涙や、母親の機転と思い遣りで危機を乗り切ったけれど、この映画の中の両親は、あの大事件(事故?)を経て、また絆を取り戻したのだろうか。本編は家族再会でさらっと視点はヒロインへ移り、家族の問題なんてどうだっていいじゃーん!とばかりにカップル誕生を祝福して終わっちゃって、どうして離婚危機要素を混ぜたんだろう?と少し不思議になった。
母親像っていうよりも、離婚危機に揺れる家族、が今の時代の典型なのかしら?

*1:しかしこの後観た『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』の、イルサが走る前にハイヒールを脱ぐところで「これだよ私が観たかったのは!」と思ったり

*2:フレンチアルプスで起きたことの感想はこちら