映画とどこかまで行こう

主に観た映画の感想を。新作・旧作、劇場・DVD鑑賞混じります。時々テレビドラマも。

サイド・エフェクトをなるべく情報を入れずに観た

 

「なるべく前情報を入れずに観に行くと良い」という前情報により、チラシをさっと観た程度で臨んだ。「新薬で鬱治療中の患者が殺人事件を起こす。果たして副作用なのか?」という話か?…程度のスタンスで鑑賞。予告編↓も観ていなかった。


『サイド・エフェクト』予告編 - YouTube 

情報がないので、「さて、どんな話?」と問いかけながら観る。ストレートに薬害訴訟に発展する?あれ?患者が誰かをハメようとしてる?いやいや精神科医の陰謀?それとも全部妄想…? 観て行くうちに、ああ、これは監督が観客をコントロールしようとする映画なんだなぁ、と感じて来る。もちろんどんな映画だって観客の観る物は基本、監督が選んだ物だけなのだけれど、余計な情報や視点を入れたり逆に隠したりして、観客にミスリードさせようさせようとする映画というのがあるではないですか。これもその類いなんだなぁ、と。

こういう映画と分かったならば。演出の穴を探して本来の流れを読むべく、監督に勝負を挑む人も要るだろうけれど、私はぶんぶん振り回されてえーッ?そうくる?とびっくりしたい方なので、ひたすら身を任せる。監督の蒔いた余計な種の数々で、大体どんな話なのか遂に分かってからも、いつひっくり返されるのか身構えてしまい、最後の最後まで緊張して観てしまった。この、映画を観ている間の、自分と目の前に提示される情報とのやり取りが楽しかったなぁ!という映画。

しかも、あるシーンで複数の観客が「ひっ!(ガタッ!)」となった箇所があって、映画館で観るのやっぱ楽しいなあ!と感じ入った。

さて、結末に触れるので、以下は畳む。

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世界にひとつのプレイブック: Silver Linings Playbook

そもそも邦題がぴんとこなかったので、原題は一体どんな意味なのかと調べた。Silver Liningは「銀の裏地」…で、↓このようなものを指すらしい。転じて、「希望の兆し」とか「物事の良い面」という意味になると。

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Playbookはスポーツチーム、特にアメフトの作戦・戦術を描いたもの、らしい(アメフトは劇中の重要な要素)。きっとこのポスターの真ん中にある図↓みたいなものが描いてあるのだろうと思う。

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「希望へのプレイブック」? そもそもなかなか日本人にはぴんとこないタイトルで、どうして邦題で「プレイブック」って言葉を使ったのかも若干疑問…。

 

タイトルはさておきギンレイで観てきた。話題作ではあったけれど、何となく好きになれない気がして封切時は行かなかった。そして観終わって自分の勘に納得。個人的に、登場人物全員が程度の差はあれど病んでいて、安定した人が皆無な物語はくたびれてしまうのだった。なんだか、『バッファロー'66』の実家での場面が全編に渡って続いたような疲労感が…。

ストーリーは、それぞれある事件がきっかけで精神的に病んだ男女が運命的に出会い、家族や友人とともに新しい一歩を踏み出すまでをコメディタッチで…という趣向のはず。

ただ自分は、主人公の二人は「ある事件」に遭遇する前から病んでいたと思うし、新たな恋をしたからって癒えるほど、その病は簡単じゃない。あの本人たちと、やっぱりどこかしら病んでいて不安定な周囲とで、「それからみんな幸せに暮らしました」となるとはカケラも思えなかった。明け方に怒鳴りあって警察が来る日や、家中のものを破壊する日はたぶん遠くない。

ただ、そう深刻に考えてしまって笑えなかったのは、ただ単に、私の立っている世界とは違う世界の映画だからなのかも知れない。アメリカの現代社会に生きていたら、自分がそこでどんな境遇かはともかく、ああいう状況下で主人公たちが見出した希望を、もっとリアリティを持って受け止められるんだろうと思う。

物事には、普遍的なものもあるし、ローカルなものもある。

タイトル以外に分からなかったことといえば、主人公は妻の浮気を目撃し、浮気相手を叩きのめして裁判にかけられ、刑務所か精神病院かの選択で入院していたようなのだが、そういった場合、病院での治療費はタダなんだろうか? 母親が息子を退院させたのは、父親が失業したからなのか、単に息子を早く手元におきたかったからなのか、どっちなのかしらん?

夏の終り:映画と原作

予告編で感じた通り、映像はとても綺麗な作品だった。しっとり濡れたような美しい陰影。古びた日本家屋や曲がりくねった路地。型染めの文様。満島ひかり小林薫綾野剛という3人の役者さんもそれぞれ良い演技をしていたし、綺麗に撮られてもいた。音楽もさりげなく良くて、目や耳に愉しい。

 


『夏の終り』予告編 - YouTube

 

しかし。回想シーンをふんだんに差し込んで語られるストーリーは、物事の順番は大体分かるものの、一体どのくらいの期間についての話なのかや、どういう状況なのかが分からないゆえ、それぞれの思いの深さが計れない。

背景に貼ってあった映画ポスターの年代は、51年に公開された映画の後のはずのシーンで50年公開作のものが出て来たりしていたし、台詞で「トイレ」と言うのもなんだか年代とそぐわず、詰めは結構適当な感じがした。

納得がいかずに原作を買ってしまった。そして、映画では分からなかったことが色々判明。

 

-知子は涼太の6つ上

-知子が夫と別れたのが知子25涼太19

-どちらかと言うと、知子が涼太を誘惑した。しかし半年後破局

-慎吾と出会うのが知子30。涼太は5年ほど飲み屋の女と結婚

-涼太の突然の訪問は、ゆうに12年ぶりの再会(…とは思わなんだ)

-慎吾の家に出入りしてた女学生は手伝いの子で、慎吾の妻は電話で最初、知子をあの子だと思っていた

-知子が港で出迎えられるのは、ソビエト旅行からの帰り 

 

なんだか脚本の人がひたすら地の文でされている説明を端折って、会話だけを抽出したんじゃないかという印象。映画はただ、起こったことを綺麗な映像でつらつら見せる、イメージビデオみたいな作りになってしまっている。

もちろん原作をちゃんと描くなら、主演はもっと年上の女優さんでなければ「前途有望な若者を年上女が誘惑し、人生をだめにしてしまったやるせなさ」という状況に説得力を持たせるのは困難な訳で、キャストを決めた時点で、何かを放棄せざるを得なかったのかなとも思うけれど…。

 

ちなみに原作で「トイレ」の台詞は「おしっこ」だった。何でそれじゃダメだったのかしらん?

夏の終り (新潮文庫)

夏の終り (新潮文庫)

 

とはいえ!最初に書いたように、映像と音はとても良く、何より雨の縁側、和装の小林薫の膝に子猫、だとか、電話で話す小林薫の膝の上で本気でじゃれる子猫、が観られたので、個人的に眼の保養にはなった。

怪獣・ロボット愛はなくってもパシフィック・リム

週末時々、自転車で30分くらいの所にあるシネコンにレイトショー観に行く。
週末のレイトショーだから、どーん!と楽しい、帰って良く眠れそうな奴がいい。
かくしてパシフィック・リム。特に特撮やロボットアニメに思い入れはないけれど。

ところで本作、なんだかファンが面倒くさくて、「これはロボット&怪獣好き男子のための物だ!女子供は観るな!」みたいな意見が出ていたり。
ロボット&怪獣モノってそもそもは子供が観るものだった。子供の時にそのジャンルを観てわくわくしてたのに、成長してパシリムに「子供は観るな!」とは、なんともツマんない大人になってしまったものである。
個人的にはスタートレックの方が「素人は観るな!」な意見がありそうと思っていたけれどそんなことはなく。たぶんスタトレのファンの皆さんは今までのファン人生、色んなことがあり過ぎ鍛えられているのだろう。一方ロボット&怪獣好きの皆さんは、ようやく「これぞ俺たちの映画だ!」という作品が現れて興奮し過ぎたのかもね?

前置きが長くなった。
そういう訳で、お好きな皆さんからは怒られそうな私も観てしまったが、とても楽しかった。
怪獣がどんどん襲って来る世界で、各国が協力してロボットを開発するも…!という世界設定が駆け足で、そして上手に語られて、あっという間に気持ちは物語の中へ。
何でもかんでもどーん!と大きくて、画に実に重みと迫力があって、そんなにしんみりぐずぐずせずにどんどん話が進んで行く。
「ロボットを操縦するのは2人の人間」というのは、相手の思考に入れてしまう以上、かなりパートナー探しが難しそうで、現実的でないような…と思ったのだが、その設定だからこそ、めそめそした身の上話などなくとも相手のつらい過去や気持ちをさっくり分かり合えて、映画の展開上、大変都合が良かった。

しかし私が一番ぐっときたのは、巨大ロボットでも怪獣でもロボットを操縦するヒーローヒロインでもなく、方向性の違う二人のオタク(怪獣好きと計算好き)。
彼らの結構大事な活躍には、一番胸がしめつけられた。大体、肉体派の仲悪い男子同士より、全く違う種類のオタクが意気投合する方が希有ではと思うし!(肉体は殴り合って笑ってOKだけどね!)。
結構ね、人知れず頑張るオタクがかなりの割合で地球を救ってると思うよ、実際のところも。

そんなこんなで、週末の夜にぴったりの映画だった。

その後、Twitterでファンが各国のイェーガーのアイディアを嬉々として挙げているのを微笑ましく眺めた。こういうので世界平和が図れないものだろうか。
それぞれ自国のイェーガーのアイディア出して、テレビシリーズで一話一国担当で戦って、最後のクライマックスは全世界のロボットがひとつに…いやいや、やっぱ仮想敵がないとまとまらないってのも残念かな…。でもそれでも…!

観終わってからも色々妄想が止まらないってだけで、この作品の勝ち。

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なんだかんだと『風立ちぬ』は観に行った

さて『風立ちぬ』。TOHOシネマズで映画終演後に4分の予告編を観せられるという仕打ちに遭い、その時点ですっかり観る気は失われていた。
確かに綺麗な映像なのだが、「みんなジブリ好きでしょ?映画館来た人に特別に観せてあげるね?嬉しいでしょ?楽しみでしょ?素敵でしょ?」みたいな売り手の思い込みに、異様にむかむかしたのだ。余計なお世話だ。大体最近の日本映画って「特報」とかゆって思わせぶりな画像を公開遥かに前から小出しにし、ずるずるずるずる情報を出し惜しんで宣伝した挙げ句に大したことないってケースが多過ぎて、特報とか特別予告編とかうんざりだ。加えて言うなら、村上春樹の新刊の宣伝や売り方にもうんざりだ。宣伝と狂騒の記事だけでお腹いっぱいもう充分だ。ほんとにみんな春樹好きなのか? 個人的に言うなら春樹は『世界の終わり…』までで終了だ。

…話が逸れた。

今回気づいたのだが、そんなうんざり天の邪鬼の食指を動かす事態、それは「賛否両論」なのだった。公開後、Twitterの自分のTLだけでも実に様々な意見。あら?だったら自分の目でどう思うか確かめてみようかしら?(ちなみに春樹も賛否両論だけど、それはいつものことだからもう心は動かないよ)
そして結局観に行った。

作品はとにかく綺麗だった。
あの時代については白黒映画で観ることが多いので、「あの世界に色がついている!」という点でまず気持ちが高揚する。そして背景も、繊細に動く草花も、風の描写も、とにかく美しかった。室内の調度の描写も細かくて、昔の家の様子(階段の横に竹の飾りが!とか)が実に凝っていたりして。
空を飛ぶ夢の描写や大震災のうねる大地、砂利の動き、混乱する群衆等々、アニメーションの表現力にもうっとり。使われている日本語の丁寧さにもうっとり。
そんなこんなに目を見張って飛ぶように過ぎる前半と比べて、主人公が恋に落ちる後半はまったりしてしまったけれど、そっちがロマンチックで素敵と思う人もいるだろう。
おっとりした昔の日本映画の良さと、アニメーション特有の非現実とが綺麗にミックスされた映画だったと思う。

話は飛ぶのだが、春のドラマで航空自衛隊を題材にした作品があって、ブルーインパルスが好きで好きでパイロットを目指すも事故で夢を断たれた青年、というキャラクターが主人公のひとりだった。
彼は言った。「(飛行機は)美しいから飛べるんです」
そして「戦闘機は人殺しの道具」と言われて激怒したりしていた。
『風立ちぬ』も主人公は飛行機が好きで好きでたまらないキャラクターで、出て来た台詞が「飛行機は美しい夢」。作ったのは戦闘機。
「何に使うか」は置いておいて「飛行機そのもの」を愛し抜くキャラクターを続けて観るのは、気持ちを想像する上でも綺麗な流れだった。

ドラマの方は、地上波だけに綺麗な折り合いを付けた。「戦闘機云々」はとにかく置いておいて、飛行機は美しいし、人の命を助けたり、人の夢や、大きな希望にもなったりするということを震災も交えて描いた。
しかし映画はもう、「この美しい、主人公が愛し設計した乗り物は、人を殺す道具にもなる」という点を、折り合いをつけずにすとんとそのまま提示した。悪いこともあるけれど、こんないいこともある等々、何の言い訳もない。人間なんてそんなもん。好きな物や好きな人をとにかく愛して、その時代を精一杯生きていく。そうするしかないじゃないか。自分の行為が世界にプラスになることもマイナスになることも、結果論だ。
監督がとしをとって、胸を開いて堂々とそう言っているみたいで清々しいと思った。フィルモグラフィの後半に、自分の夢や妄想や願望や理想を詰め込んでわけのわからない作品を撮る映画監督は多いし、本作もその中のひとつかも知れないけれど、個人的にはこれはアリに入れる。賛否で言うなら賛に一票。

箱入り息子の恋(ネタバレしてます)

源ちゃん早く元気になるといいな。
それと夏帆は最近とてもいい。「ヒトリシヅカ」の悪女も、「みんな!エスパーだよ!」のガサツでエロい女子高生もめっさ魅力的で、ほんわり美少女ってだけよりもずっといい。
…ということで観に行った。予告からきっとほのぼのラブストーリーなんだろうな、という予想のもと。


彼女いない暦=自分の年齢の地味で奥手な公務員の青年が、親が押し付けて来たお見合い相手に恋をする。初めての恋をして体験する、初めてのわくわくと世界の輝き。
良さそうな話じゃないですか!
もちろんそんなシチュエーションはある意味ファンタジーなので、大杉蓮演じる女性の父親の酷過ぎる横暴さも、まぁマンガ的キャラクターってことで!と眼をつぶることにする。
ファンタジー!ファンタジーだ!と色んな点で自分に言い聞かせ、物語はハッピーに終わったけれど、それでも観終わってからなんだかもやもやし、それが何日も残っている。…ファンタジーって言えば何でも許されるわけではない。

もやもやそのいち。
「彼女は外見で人を判断しない」というのが彼女を選んだ理由、と普段全く喋らない主人公が勇気を出して力説するが、そこなのか。彼女にも同じ境遇の人にもあまりにも失礼ではないか。言葉でそう説明させても、もうちょっと彼女の外見や身体的特徴以外の、内面的な「素敵な所」を見知って好きになる場面があっても良かったのに!
そう、彼女にはお前の外見は見えない。同様にお前の方は彼女の外見無視で判断したのか?それは違うだろう?

もやもやそのに。
この恋の最大の(いや唯一と言ってもいい)障害は大杉蓮だった。だったら大杉蓮を納得させるべく、頑張るしかないはずだ。
なのに何故、大層努力して執り行ったことが、父親の眼を盗んで彼女の窓までよじ上り、階下に父親がいる状態でヤっちゃうことなのか。いい大人が!夜這いとか!私が父親だったら絶対に許さない。
昇進試験はサボって先にそっちかよ、と、傍から観ていてもちっとも素敵じゃない。それで2階から落ちて怪我をすれば全て許されるのか?世の中のお父さん、どうよ?

源ちゃんも夏帆ちゃんもかわいらしかったし、音楽もよかった。
でも、もやもやは止まらなかった。
恋愛が人を動かすパワーは描かれていたものの、「素敵さ」の基準が作り手と私とでは違っていた、ということなんだろう。

第七の封印

シリーズ懐メロ。
高校生の時に一度観ている。その時は監督の名前も知らず、単に死神とチェスをしているスチールを見て「かっこいい!」と思ってビデオを借りた。死神の画は実に格好良かった。そして意味も何も考えなかった。
当時はそんな風に、前情報も知識もなく適当に映画を観てた。「映像かっこいいけど謎」というのもたくさんあった。後になって分かったものもあるし、未だによく分からないものもあるし、今観たらツマらないばかみたいなものもある。

さて本編。
今見返したら、やっぱりまずは映像がとてもかっこ良くて、小難しいと記憶していた物語には喜劇的な側面もずいぶんあって、面白かった。

神様は一体どこにいるんだろう?何故黙っているのだろう?人々がこんなに苦しんでいるのに?聖職者たちは神の名を騙って人を畏れさせ、私欲を貪っているというのに?神の名の下に自分は空しい月日を異国で過ごしたというのに?…そういう主人公の心の苦しみは(自分はキリスト教徒ではないので)感覚的にはなかなか捉え難いけれども、それでも頑張って想像してみる。
よくこの映画は難解と言われて、哲学的に難しく語られたりするけれど、そこまでしなくてもいいんじゃないか。「神様はいる」というのが常識の社会に生まれた人なら、持ってしまう人もある程度いて、しかも持つことに罪悪感を抱く疑問、の映画なんではないか。私たちには馴染みは薄くても、もっと身近で日常的なテーマなのではないのか。
いや、よく分からん。キリスト教圏の人のレビューをもっと読んでみなくっちゃ(…とインターネットで旅に出る)。

昔もインターネットがあったら、何でも調べちゃってたかしら?
蘊蓄ばかりを粋がって溜め込んで、頭でっかちになっていたのではないかと思われるので、自分はこんなスローペースで良かったかなと思う。