映画とどこかまで行こう

主に観た映画の感想を。新作・旧作、劇場・DVD鑑賞混じります。時々テレビドラマも。

クロニクルった

ツイッターで評判が良かったし、都内限定公開1000円だというので、カケラも知識を入れずに行ってみた。いつ行っても1000円ていいよね(Tohoはネット予約時に楽天のポイント使えるのもいいよね)。

予告編もチラシも未見で基本設定すら分からない。映画が始まって初めて、フェイクドキュメンタリーみたいな手持ちカメラ映像(POV方式って言うのかな)だと判明。

どうやら男子高校生の主人公が、カメラを手に入れ、日常を記録することに決めたという設定らしい。映像から判断するに、彼は学校でいじめられっ子…とまではいかないまでも、雑魚扱いされている気配。だからカメラは撮影者と敵対する世界との間にある楯になったり、撮影者がそこにいていい理由(言い訳?)になったりもする道具ということなのだろう。つまりこの状態から後々、映像に主人公が多く映るようになったり、カメラが要らなくなったりしたらハッピーなんだろうけれど…。

そして主人公は偶然、仲良くしてくれてる従弟と人気者の同級生とともに、超能力を身に着ける。

 

高校生+いじめられっこ+超能力(ああ!何故か嫌な予感!)

 

さて、学校では冴えない主人公。家庭はどうかというと、母親は重い病気で自宅療養中(貧しいため十分な治療が受けられないようだ)、父親は失業してやさぐれているようで、あまりうまくいっていない。というかこの父親、妻のことは愛しているようなのだが「そして父になれていない」タイプで、例えるならもし妻がお産で亡くなって子供だけが残されたら、「かーちゃんはお前のせいで死んだ。お前が死ねばよかったのに」と子供に言い放って酒びたりになる系統に見える。

 

高校生+いじめられっこ+超能力+不幸な家庭環境(あああああああ!!!)

 

若気の至りパワーと、どこにも居場所がないフラストレーションと寂しさ、怒り、そして超能力。主人公演じる役者さんの繊細で哀しげな風貌も相まって(ちょっと昔のディカプリオにも似た感じ)、これが平和に終わるわけないという不安な気持ちと、どうか善良な友人たちと一緒に幸せになって欲しい、と祈る気持ち。

予備知識皆無だったため、もう本当にリアルタイムのドキュメンタリーを眺める気分で楽しめたし、少なくとも予告は観なくて正解だったかも。ちょっと出しすぎだもの(一番最後につける)。

3人は最初は超能力でいたずらにいそしむのだが、途中で二人の友人には良心の歯止めがかかる。「生き物には使わないルールにしよう」。主人公だけは納得しかねていたこの善良でまっとうな判断は、どういう場所から生まれるのだろうと思った。愛される居場所がある者の心のゆとりなのだろうか。

ここで子供の発達について考えてもしょうがないけれど、あの2人と1人の間にひかれた線を、どうか主人公に越えて欲しい、と祈った。まぁ善良さは人を救える時もあるし、善良ゆえ救えないこともある。

 

青春残酷物語としてとても良くできていたし、長くない尺でかちっとまとまっていて綺麗。しかし嫌な予感が消えないまま全編緊張が続き、とてもくたびれた。実に切ない話だった。

 

↓この予告編は出しすぎじゃない?


映画「クロニクル」予告編 - YouTube

 

それにしても、こうして見ると人助けのために能力のすべてを当然のことのように投げ出せるスーパーヒーローって凄いものなんだな(実際になれる人っているのかしら?)。

そして父になる:サスペンス映画よりも

同時期にやはり楽しみにしていた『凶悪』が公開で、そちらのリリーさんが世にも恐ろしい悪役だということなので、怖いイメージがつく前にと、こちらの「いいリリーさん」を先に鑑賞することにした。

ストーリーは「赤ちゃん取り違え事件」がベース。片方の家族は、裕福だけれど父親が家庭を顧みない。もう片方は、貧乏だけれど温かい家庭を築いている。前者の育てっ子は内に秘めたところのある静かなタイプで、後者は賑やかでやんちゃ。さあどうするのが幸せ?正しい?…と、図式的にはものすごーく型にはまっていて、粗筋だけ聞いたら鼻につきそうですらある(でもそういう土台があるから、海外の人にも分かり易いのかな)。

しかし実際に映画を観てみるとそれぞれのキャラクターがやたらと生々しく、誰もが本当にいそうな感じ。冷たい父親にも色んなトラウマや迷いがあり、「温かい家庭」側も完璧に善良な夫婦ではなく下衆でヤンキーな所があったりし(つまり真っ白いリリーさんではなかった…)、どっちがいいとか悪いとか、白黒つけられなくなる。

基本的には主人公は冷たい父親役の福山雅治で、彼が事件をきっかけに「父親とは?」を見直し、時に相手方の親にライバル心を燃やしてムキになったりもして、ようやく「父」のスタートラインにつくまでの成長物語。

彼は取り違えが発覚して初めて、ちゃんと子供を見る(今までは理想を押し付けるばかりで、子供の表情など見やしなかった)。実の息子に自分と似た所はあるだろうかとじーっと眺め、育て子が実の父親といる所の表情を眺め、はてあの子は自分といる時にどんな顔をしていたかしら?と家でも眺める。今まで気づかなかった細かいことがたくさん見えて来る。その視線につられ、こちらもそれぞれのキャラクターの小さな癖や、言葉や、仕草に敏感になり、やたらと色んなことを想像させられ、さらに自分自身の経験も蘇り、どんどん全員が好きになってしまう。一体結末がどうなっちゃうのか、下手なサスペンス映画よりもどきどきし、彼ら全員の幸せを心から祈った。

タイプの違う二人の父親像が際立つけれど、私は同性である母親の方にも共感してしまい、「どうしてお腹の中で10か月育んでいたのに、お腹を痛めて産んだのに、全く気づかなかったのだろう?」という罪悪感と絶望感を想像して胸が潰れそうになったり、しょんぼりした子供を抱きしめた時、おずおず子供が背中に手を回してきたことに、どんなに胸がきゅっとなったろうと切なくなったりしながら、それぞれきちんと描かれた母親像に監督の観察眼を見た気もした。

(↓この「特報」位が情報量としては丁度いい)

そして父になる 特報 - YouTube

 

序盤、2組の親子が対面し、福山が実の息子をじーっと観察している場面で、リリーさんとその育て子が、二人ともストローをくちゃくちゃ噛んでしまっている…という箇所があった。遺伝で似ることもあれど、生活を共有する中で似て来るってことも本当にたくさんある、ということがその後も出て来る。ウィンク、口調、お箸の持ち方、まめ知識…。あの二組の家族が、映画が終わった後も、何気ないけどかけがえのない日々を積み重ね、子供たちはそこからどんどん色んなこと(しょうもないものも含)を吸収して、心豊かに幸せでいてくれたらいいなと思う。

出演者全員が素晴らしかったけれど、特に主人公の育ての息子役を演じた慶多くんの黒目の綺麗さ!黙っているけれども心の中に色んな思いがある(ように見える)雄弁な黒目は忘れ難い…。

以下、まとまらない雑感

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ジンジャーの朝 : "Ginger & Rosa"より合う気がする

年をとってから青春映画を観ると、困ったことに親の視点で観てしまう。もちろん、主人公のことも「あぁ、自分にもこういう時があったよ」という目で眺めるのだが、同時に親側の「ひとりの人としての苛立ち」にも気持ちを傾けてしまい、頭の中が忙しいことになる。

本作もそういう映画だった。

時代は冷戦下。アメリカとソ連は一触即発状態で、いつ両国の核ミサイルが発射されヨーロッパが壊滅するか分からず、社会全体がピリピリしていた時代。

主人公の母親は若くして娘を身ごもり、画家になる夢を諦めて出産子育て。稼ぎの少ない旦那のもとで、イライラとやりくりしている。父親はのらくらしたアナーキストで、戦争に行かずに監獄に入れられたのを誇りにしており、ジャズを教えつつ女子生徒とデキちゃったりなんかして、「親の自覚・夫の自覚」というものが一切ない。甲斐性なしのくせに逆ギレし易く、妻とも上手く行っていない(という書き方でもう、私がこの男を良く思っていないのがバレてしまうね)。つまり、こちらもいつ破滅するか分からない状況だ。

こういう両親の場合、若い娘は一見カッコイイ父親の方に肩入れし、母親をだっせえと思ってしまうのが世の常。嗚呼、母親のフラストレーションいかばかりか…。全部、全部あきらめたのに!!!(…という気持ち丸出しでイライラするのも、ろくな結果を生まないのだが)

主人公は上手くいっていない家庭の中でなんとなく孤立し、最初は父親に添おうとするも裏切られ、核廃絶運動の方へ気持ちを傾ける。「今、世界を救わなくちゃいけない」。その「世界」は、地球全体でもあるし、主人公がまさにいる日常的な世界でもある。日々のフラストレーションとの戦いと核兵器との戦いは、ほんとうにどちらも大問題だ。まだ若くて視野も狭い中で、主人公のパワーが片方からもう片方へ不安定に流れて混乱していく様子には、「いずれ絶対遠くまで見えるようになるし、楽になれるよ!」と言ってあげたくなったり。

 監督は実際に冷戦当時、核廃絶運動に参加していた経験があったそうだ。その時代についての映画を、どうして今撮ったんだろう?

「社会へのフラストレーションと自分自身の未来が見えないことへのフラストレーションが大きなパワーを産む」…という現象が、今まではなかった地域で起き始めたことも一つの理由かも知れない。当時と似た空気を感じているのかなと、勝手に妄想した。文化が違っても、人は似た様なことを世界中で繰り返し繰り返し、しているのかも。

この映画、現代はジンジャー&ローザなのだが、最初のうちは幼なじみの二人の少女の話ではあるものの、途中からぱっきりと分かれてしまうし、あまりローザ側の葛藤は描かれないので、邦題の方が合っていたと思う。


映画『ジンジャーの朝 ~さよなら、わたしが愛した世界』予告編 - YouTube

 

(ところで先日、冷戦下ですんでの所で核ミサイル発射を食い止めた人の記事がBBCサイトに出ていた。その夜、当直でいてくれてありがとう!)。

 それにしても、このスカした父親が口ばっかで役立たずで本当に酷くってね。

でも、こういう人がかっこよく見えた時期は自分にも確かにあったし、例えば「思想を持って戦争に行かなかった」という事実だけ聞いて人となりを知らなければ、こつこつ堅実に働き、暮らしを立てている人よりも、こういう人が「かっこいい」ということになってしまうんだよな。人を見る目には気をつけねば、と、何故か必要以上に自戒の念を持った。

母親の方は気持ちを切り替えて以降、もの凄く綺麗になるのだが、そうなったらそうなったで娘が近寄りづらくなってしまうのね…。母親とは本当に難しいものよ。

サイド・エフェクトをなるべく情報を入れずに観た

 

「なるべく前情報を入れずに観に行くと良い」という前情報により、チラシをさっと観た程度で臨んだ。「新薬で鬱治療中の患者が殺人事件を起こす。果たして副作用なのか?」という話か?…程度のスタンスで鑑賞。予告編↓も観ていなかった。


『サイド・エフェクト』予告編 - YouTube 

情報がないので、「さて、どんな話?」と問いかけながら観る。ストレートに薬害訴訟に発展する?あれ?患者が誰かをハメようとしてる?いやいや精神科医の陰謀?それとも全部妄想…? 観て行くうちに、ああ、これは監督が観客をコントロールしようとする映画なんだなぁ、と感じて来る。もちろんどんな映画だって観客の観る物は基本、監督が選んだ物だけなのだけれど、余計な情報や視点を入れたり逆に隠したりして、観客にミスリードさせようさせようとする映画というのがあるではないですか。これもその類いなんだなぁ、と。

こういう映画と分かったならば。演出の穴を探して本来の流れを読むべく、監督に勝負を挑む人も要るだろうけれど、私はぶんぶん振り回されてえーッ?そうくる?とびっくりしたい方なので、ひたすら身を任せる。監督の蒔いた余計な種の数々で、大体どんな話なのか遂に分かってからも、いつひっくり返されるのか身構えてしまい、最後の最後まで緊張して観てしまった。この、映画を観ている間の、自分と目の前に提示される情報とのやり取りが楽しかったなぁ!という映画。

しかも、あるシーンで複数の観客が「ひっ!(ガタッ!)」となった箇所があって、映画館で観るのやっぱ楽しいなあ!と感じ入った。

さて、結末に触れるので、以下は畳む。

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世界にひとつのプレイブック: Silver Linings Playbook

そもそも邦題がぴんとこなかったので、原題は一体どんな意味なのかと調べた。Silver Liningは「銀の裏地」…で、↓このようなものを指すらしい。転じて、「希望の兆し」とか「物事の良い面」という意味になると。

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Playbookはスポーツチーム、特にアメフトの作戦・戦術を描いたもの、らしい(アメフトは劇中の重要な要素)。きっとこのポスターの真ん中にある図↓みたいなものが描いてあるのだろうと思う。

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「希望へのプレイブック」? そもそもなかなか日本人にはぴんとこないタイトルで、どうして邦題で「プレイブック」って言葉を使ったのかも若干疑問…。

 

タイトルはさておきギンレイで観てきた。話題作ではあったけれど、何となく好きになれない気がして封切時は行かなかった。そして観終わって自分の勘に納得。個人的に、登場人物全員が程度の差はあれど病んでいて、安定した人が皆無な物語はくたびれてしまうのだった。なんだか、『バッファロー'66』の実家での場面が全編に渡って続いたような疲労感が…。

ストーリーは、それぞれある事件がきっかけで精神的に病んだ男女が運命的に出会い、家族や友人とともに新しい一歩を踏み出すまでをコメディタッチで…という趣向のはず。

ただ自分は、主人公の二人は「ある事件」に遭遇する前から病んでいたと思うし、新たな恋をしたからって癒えるほど、その病は簡単じゃない。あの本人たちと、やっぱりどこかしら病んでいて不安定な周囲とで、「それからみんな幸せに暮らしました」となるとはカケラも思えなかった。明け方に怒鳴りあって警察が来る日や、家中のものを破壊する日はたぶん遠くない。

ただ、そう深刻に考えてしまって笑えなかったのは、ただ単に、私の立っている世界とは違う世界の映画だからなのかも知れない。アメリカの現代社会に生きていたら、自分がそこでどんな境遇かはともかく、ああいう状況下で主人公たちが見出した希望を、もっとリアリティを持って受け止められるんだろうと思う。

物事には、普遍的なものもあるし、ローカルなものもある。

タイトル以外に分からなかったことといえば、主人公は妻の浮気を目撃し、浮気相手を叩きのめして裁判にかけられ、刑務所か精神病院かの選択で入院していたようなのだが、そういった場合、病院での治療費はタダなんだろうか? 母親が息子を退院させたのは、父親が失業したからなのか、単に息子を早く手元におきたかったからなのか、どっちなのかしらん?

夏の終り:映画と原作

予告編で感じた通り、映像はとても綺麗な作品だった。しっとり濡れたような美しい陰影。古びた日本家屋や曲がりくねった路地。型染めの文様。満島ひかり小林薫綾野剛という3人の役者さんもそれぞれ良い演技をしていたし、綺麗に撮られてもいた。音楽もさりげなく良くて、目や耳に愉しい。

 


『夏の終り』予告編 - YouTube

 

しかし。回想シーンをふんだんに差し込んで語られるストーリーは、物事の順番は大体分かるものの、一体どのくらいの期間についての話なのかや、どういう状況なのかが分からないゆえ、それぞれの思いの深さが計れない。

背景に貼ってあった映画ポスターの年代は、51年に公開された映画の後のはずのシーンで50年公開作のものが出て来たりしていたし、台詞で「トイレ」と言うのもなんだか年代とそぐわず、詰めは結構適当な感じがした。

納得がいかずに原作を買ってしまった。そして、映画では分からなかったことが色々判明。

 

-知子は涼太の6つ上

-知子が夫と別れたのが知子25涼太19

-どちらかと言うと、知子が涼太を誘惑した。しかし半年後破局

-慎吾と出会うのが知子30。涼太は5年ほど飲み屋の女と結婚

-涼太の突然の訪問は、ゆうに12年ぶりの再会(…とは思わなんだ)

-慎吾の家に出入りしてた女学生は手伝いの子で、慎吾の妻は電話で最初、知子をあの子だと思っていた

-知子が港で出迎えられるのは、ソビエト旅行からの帰り 

 

なんだか脚本の人がひたすら地の文でされている説明を端折って、会話だけを抽出したんじゃないかという印象。映画はただ、起こったことを綺麗な映像でつらつら見せる、イメージビデオみたいな作りになってしまっている。

もちろん原作をちゃんと描くなら、主演はもっと年上の女優さんでなければ「前途有望な若者を年上女が誘惑し、人生をだめにしてしまったやるせなさ」という状況に説得力を持たせるのは困難な訳で、キャストを決めた時点で、何かを放棄せざるを得なかったのかなとも思うけれど…。

 

ちなみに原作で「トイレ」の台詞は「おしっこ」だった。何でそれじゃダメだったのかしらん?

夏の終り (新潮文庫)

夏の終り (新潮文庫)

 

とはいえ!最初に書いたように、映像と音はとても良く、何より雨の縁側、和装の小林薫の膝に子猫、だとか、電話で話す小林薫の膝の上で本気でじゃれる子猫、が観られたので、個人的に眼の保養にはなった。

怪獣・ロボット愛はなくってもパシフィック・リム

週末時々、自転車で30分くらいの所にあるシネコンにレイトショー観に行く。
週末のレイトショーだから、どーん!と楽しい、帰って良く眠れそうな奴がいい。
かくしてパシフィック・リム。特に特撮やロボットアニメに思い入れはないけれど。

ところで本作、なんだかファンが面倒くさくて、「これはロボット&怪獣好き男子のための物だ!女子供は観るな!」みたいな意見が出ていたり。
ロボット&怪獣モノってそもそもは子供が観るものだった。子供の時にそのジャンルを観てわくわくしてたのに、成長してパシリムに「子供は観るな!」とは、なんともツマんない大人になってしまったものである。
個人的にはスタートレックの方が「素人は観るな!」な意見がありそうと思っていたけれどそんなことはなく。たぶんスタトレのファンの皆さんは今までのファン人生、色んなことがあり過ぎ鍛えられているのだろう。一方ロボット&怪獣好きの皆さんは、ようやく「これぞ俺たちの映画だ!」という作品が現れて興奮し過ぎたのかもね?

前置きが長くなった。
そういう訳で、お好きな皆さんからは怒られそうな私も観てしまったが、とても楽しかった。
怪獣がどんどん襲って来る世界で、各国が協力してロボットを開発するも…!という世界設定が駆け足で、そして上手に語られて、あっという間に気持ちは物語の中へ。
何でもかんでもどーん!と大きくて、画に実に重みと迫力があって、そんなにしんみりぐずぐずせずにどんどん話が進んで行く。
「ロボットを操縦するのは2人の人間」というのは、相手の思考に入れてしまう以上、かなりパートナー探しが難しそうで、現実的でないような…と思ったのだが、その設定だからこそ、めそめそした身の上話などなくとも相手のつらい過去や気持ちをさっくり分かり合えて、映画の展開上、大変都合が良かった。

しかし私が一番ぐっときたのは、巨大ロボットでも怪獣でもロボットを操縦するヒーローヒロインでもなく、方向性の違う二人のオタク(怪獣好きと計算好き)。
彼らの結構大事な活躍には、一番胸がしめつけられた。大体、肉体派の仲悪い男子同士より、全く違う種類のオタクが意気投合する方が希有ではと思うし!(肉体は殴り合って笑ってOKだけどね!)。
結構ね、人知れず頑張るオタクがかなりの割合で地球を救ってると思うよ、実際のところも。

そんなこんなで、週末の夜にぴったりの映画だった。

その後、Twitterでファンが各国のイェーガーのアイディアを嬉々として挙げているのを微笑ましく眺めた。こういうので世界平和が図れないものだろうか。
それぞれ自国のイェーガーのアイディア出して、テレビシリーズで一話一国担当で戦って、最後のクライマックスは全世界のロボットがひとつに…いやいや、やっぱ仮想敵がないとまとまらないってのも残念かな…。でもそれでも…!

観終わってからも色々妄想が止まらないってだけで、この作品の勝ち。

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