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映画とどこかまで行こう

主に観た映画の感想を。新作・旧作、劇場・DVD鑑賞混じります。時々テレビドラマも。

心の半分は冷蔵庫の中

こんな気持ちはみっともないし、何かに甘えているのかも知れない。それでも、正直なところを書き残しておく。

大震災。両親も、妹も、猫も、実家も、友達も、東北にいた大事な人はみんな無事だった。
それでもあの日以来、魂が半分になったような気分でいる。身体がいつも緊張していて、自分の手をぎゅっと握りしめても感覚というものがない。
東京は、停電やら品不足はあるにしても、ぐんぐん「日常」へと近づいて行く。
対して自分の大切な人たちは、今私が送っているのとは全く違う、思いもよらなかった世界を「日常」として今、生きている。そして、どんなに想っても、焦がれても、私がそれを共有することは出来ない。想像し、案じたり察したりはできるかも知れないけれど、実際には体験できないし、体験できないことは、本当には理解できない。もの凄く身近で心から愛する人たちと、私は明確に切り離されてしまった。
心配に押しつぶされそうになり、「何か欲しい物があったら送る」とばかみたいに言い続け、しょうもない小さな物資をレターパックで送りつけ、情報を収集し、関わろう、関わろうと空回りばかりしてきたけれど、結局のところ私がいるのは東京で、こうやってぽちぽちブログなど書いているばかりだ。
この無力感や喪失感をどう片付ければいいのか、全く分からない。分からないのだが、現実の「生活」は容赦なくのしかかってくる。やらなければならない仕事をこなし、給料を得て、自分の人生を成り立たせなければいけない。やっているつもりだけれど、何だか一番大事なネジをなくしたまま動いている機械みたいな気がしてならない。
もちろん私はこの震災に影響を受けた中では圧倒的に幸運な方だ。何をぼんやりすることがあろう。命さえあれば、後はどうにでもなるじゃないか。自分たちより大変な他の人を見ろよ。山のようにいるじゃないか。
分かっているのだ。分かっているからこそ、余計に自分の今現在の気持ちに収拾がつけられない。気持ちに相対論で決着をつけるのは難しい。
そして、もう震災から気持ちが離れつつある人たちの中で、自分は自身の日常からも切り離されつつある。宙ぶらりんのまま、一体どうやって歩いていけばいいんだろう。…歩いていかなくちゃいけないからきっと歩くんだろうけれど。