映画とどこかまで行こう

主に観た映画の感想を。新作・旧作、劇場・DVD鑑賞混じります。時々テレビドラマも。

2016年映画ベスト

鑑賞順

 

サウルの息子』はつらくてもうたぶん二度と観ないだろうけれども、主観的な視野を映像で表現した手法は新鮮だったし、何よりも多言語を使っていたのが印象的で。ああ、実際はあんな風に色んな言葉を話す人たちが方々から集められ、押し込められていて、中でのコミュニケーションも大変だったのだ、と実感できたのが良かった(普通は映画だと1言語で統一されてしまうので)。『光のノスタルジア』で描かれた収容所と同様に、そこであったことを記録しよう、人に伝えようと必死でいる人たちが少なからずいて。万が一自分がああいう目に遭ったら、そういう人でありたいと思った。

『ルーム』は、どうやって部屋から脱出するかより、脱出できた後でどうなったかを描いていたのが良かった。やった成功!めでたしめでたし!とはならないのだ、当然。その中で、祖父が器の小さいヘタレだったのに対し、祖母の再婚相手の男性が人間的に豊かないい人で(少年と犬とを出合わせる場面の素敵さったら!)、血のつながりなんて関係ないところも良い。

アピチャッポンのアジアっぽさっていかにも西洋の映画祭ウケしそうで、映画そのものの評価なのだろうかね、などと斜めに構えていたけれど、やっぱり世界観はアジア人の目から見ても独特で、私も好きかもしれない、と自覚した2016であった。

『サイの季節』は詩を映像化した感じで、『緑はよみがえる』は映像とセリフで詩を書いた感じ、などと思った。とはいえ描いていることは過酷で哀しく、兵士が戦いよりも病気でどんどん死んでいく、というのはどこの国でも多かったのだろう。

暴力を描いた映画といえば、『ヒメアノ~ル』もあったけれど、どうも自分は人間の中の理由なき暴力性の方が、「過去にこういうことがあってああなりました」よりも惹かれる、というか、怖いと思う、ようである。

そうそう、こういうのが観たかったのよ黒沢清ー!という待ってました感。本作も東出君を上手く使っていたと思う(『聖の青春』も良かった)。上手ではないけれどハマるとぞっとする存在感。

『シング・ストリート』のお兄ちゃんを観ながら、『あの頃、ペニー・レインと』のフィリップ・シーモア・ホフマンを思い出して泣いたり。お兄ちゃんが幸せになりますように。あと、初めてうさぎの鳴き声というものを、この映画で意識した。

シン・ゴジラ』は「楽しんだ」という点では2016年1番だったかも知れない。応援しているチームのスタジアムにハセヒロが来たし(アウェイチームも黙らせる挨拶のかっこよさと、ミニゴジラが失敗した始球式をさらってゴール!)、情報量の多さにうっとりし、人の感想に、え?そんなとこあった?とまた確認に行き、3DもIMAXも初めての4DXも試し、瓦がぶるぶる動く様に毎回打ち震え(チャンバラの、人がどーんと土塀にぶつかって、一瞬して瓦がばらっと落ちたりするタイミングの美しさとか、瓦使いは日本映画の醍醐味だ!)、ひところをゴジラ三昧で過ごして幸せだった。

アイルランドのアニメはジブリの影響も色濃くて(特にトトロ)、いいものが世界中の作り手の間にぶわーっと広がって消化されて、さらに良いものになっていくさまが本当に美しかった。しかもトトロはいかにも日本らしい話で、ソングオブザシーはいかにもアイルランドらしい話で、でもそこに通じ合う物語があって、通じ合う表現方法があって。音楽も万国共通だけれど(そして本作は楽曲も良かった)、語り継がれれる物語も万国共通なところが多い。

『みかんの丘』は同時に公開された『とうもろこしの丘』と並んで素晴らしい「おじいちゃん映画」で、戦争の中でも淡々とやるべき生活を営む強さと健やかさにうっとりした。うっとりしすぎて、コーカサス地方の紛争についての講座まで受けに行ったり。「ジョージアはワインが有名で、ワイン飲みたさのあまり、ムスリムが根付かなかった。兵士は戦場に赴く時は胸ポケットにブドウの蔓を入れていく。死んでもそこからブドウが生えてくるから」というメモをとった以外、あまり覚えていないけれども。