映画とどこかまで行こう

主に観た映画の感想を。新作・旧作、劇場・DVD鑑賞混じります。時々テレビドラマも。

ジンジャーの朝 : "Ginger & Rosa"より合う気がする

年をとってから青春映画を観ると、困ったことに親の視点で観てしまう。もちろん、主人公のことも「あぁ、自分にもこういう時があったよ」という目で眺めるのだが、同時に親側の「ひとりの人としての苛立ち」にも気持ちを傾けてしまい、頭の中が忙しいことになる。

本作もそういう映画だった。

時代は冷戦下。アメリカとソ連は一触即発状態で、いつ両国の核ミサイルが発射されヨーロッパが壊滅するか分からず、社会全体がピリピリしていた時代。

主人公の母親は若くして娘を身ごもり、画家になる夢を諦めて出産子育て。稼ぎの少ない旦那のもとで、イライラとやりくりしている。父親はのらくらしたアナーキストで、戦争に行かずに監獄に入れられたのを誇りにしており、ジャズを教えつつ女子生徒とデキちゃったりなんかして、「親の自覚・夫の自覚」というものが一切ない。甲斐性なしのくせに逆ギレし易く、妻とも上手く行っていない(という書き方でもう、私がこの男を良く思っていないのがバレてしまうね)。つまり、こちらもいつ破滅するか分からない状況だ。

こういう両親の場合、若い娘は一見カッコイイ父親の方に肩入れし、母親をだっせえと思ってしまうのが世の常。嗚呼、母親のフラストレーションいかばかりか…。全部、全部あきらめたのに!!!(…という気持ち丸出しでイライラするのも、ろくな結果を生まないのだが)

主人公は上手くいっていない家庭の中でなんとなく孤立し、最初は父親に添おうとするも裏切られ、核廃絶運動の方へ気持ちを傾ける。「今、世界を救わなくちゃいけない」。その「世界」は、地球全体でもあるし、主人公がまさにいる日常的な世界でもある。日々のフラストレーションとの戦いと核兵器との戦いは、ほんとうにどちらも大問題だ。まだ若くて視野も狭い中で、主人公のパワーが片方からもう片方へ不安定に流れて混乱していく様子には、「いずれ絶対遠くまで見えるようになるし、楽になれるよ!」と言ってあげたくなったり。

 監督は実際に冷戦当時、核廃絶運動に参加していた経験があったそうだ。その時代についての映画を、どうして今撮ったんだろう?

「社会へのフラストレーションと自分自身の未来が見えないことへのフラストレーションが大きなパワーを産む」…という現象が、今まではなかった地域で起き始めたことも一つの理由かも知れない。当時と似た空気を感じているのかなと、勝手に妄想した。文化が違っても、人は似た様なことを世界中で繰り返し繰り返し、しているのかも。

この映画、現代はジンジャー&ローザなのだが、最初のうちは幼なじみの二人の少女の話ではあるものの、途中からぱっきりと分かれてしまうし、あまりローザ側の葛藤は描かれないので、邦題の方が合っていたと思う。


映画『ジンジャーの朝 ~さよなら、わたしが愛した世界』予告編 - YouTube

 

(ところで先日、冷戦下ですんでの所で核ミサイル発射を食い止めた人の記事がBBCサイトに出ていた。その夜、当直でいてくれてありがとう!)。

 それにしても、このスカした父親が口ばっかで役立たずで本当に酷くってね。

でも、こういう人がかっこよく見えた時期は自分にも確かにあったし、例えば「思想を持って戦争に行かなかった」という事実だけ聞いて人となりを知らなければ、こつこつ堅実に働き、暮らしを立てている人よりも、こういう人が「かっこいい」ということになってしまうんだよな。人を見る目には気をつけねば、と、何故か必要以上に自戒の念を持った。

母親の方は気持ちを切り替えて以降、もの凄く綺麗になるのだが、そうなったらそうなったで娘が近寄りづらくなってしまうのね…。母親とは本当に難しいものよ。