予告編で感じた通り、映像はとても綺麗な作品だった。しっとり濡れたような美しい陰影。古びた日本家屋や曲がりくねった路地。型染めの文様。満島ひかり、小林薫、綾野剛という3人の役者さんもそれぞれ良い演技をしていたし、綺麗に撮られてもいた。音楽もさりげなく良くて、目や耳に愉しい。
しかし。回想シーンをふんだんに差し込んで語られるストーリーは、物事の順番は大体分かるものの、一体どのくらいの期間についての話なのかや、どういう状況なのかが分からないゆえ、それぞれの思いの深さが計れない。
背景に貼ってあった映画ポスターの年代は、51年に公開された映画の後のはずのシーンで50年公開作のものが出て来たりしていたし、台詞で「トイレ」と言うのもなんだか年代とそぐわず、詰めは結構適当な感じがした。
納得がいかずに原作を買ってしまった。そして、映画では分からなかったことが色々判明。
-知子は涼太の6つ上
-知子が夫と別れたのが知子25涼太19
-どちらかと言うと、知子が涼太を誘惑した。しかし半年後破局
-慎吾と出会うのが知子30。涼太は5年ほど飲み屋の女と結婚
-涼太の突然の訪問は、ゆうに12年ぶりの再会(…とは思わなんだ)
-慎吾の家に出入りしてた女学生は手伝いの子で、慎吾の妻は電話で最初、知子をあの子だと思っていた
-知子が港で出迎えられるのは、ソビエト旅行からの帰り
なんだか脚本の人がひたすら地の文でされている説明を端折って、会話だけを抽出したんじゃないかという印象。映画はただ、起こったことを綺麗な映像でつらつら見せる、イメージビデオみたいな作りになってしまっている。
もちろん原作をちゃんと描くなら、主演はもっと年上の女優さんでなければ「前途有望な若者を年上女が誘惑し、人生をだめにしてしまったやるせなさ」という状況に説得力を持たせるのは困難な訳で、キャストを決めた時点で、何かを放棄せざるを得なかったのかなとも思うけれど…。
ちなみに原作で「トイレ」の台詞は「おしっこ」だった。何でそれじゃダメだったのかしらん?
- 作者: 瀬戸内寂聴
- 出版社/メーカー: 新潮社
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とはいえ!最初に書いたように、映像と音はとても良く、何より雨の縁側、和装の小林薫の膝に子猫、だとか、電話で話す小林薫の膝の上で本気でじゃれる子猫、が観られたので、個人的に眼の保養にはなった。