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映画とどこかまで行こう

主に観た映画の感想を。新作・旧作、劇場・DVD鑑賞混じります。時々テレビドラマも。

勝手な思い入れと自分の記憶と

映画

『50/50』を観た。『(500)日のサマー』の主役の人("ジョセフ・ゴードン=レビット"という名前がどうしても覚えられない)が、ガン患者を演じる闘病ドラマ。割と極端な描写も多かったから、これは本国ではコメディに分類されるのかも知れない。


「ガンで闘病」なんてドラマを観たら、泣くに決まっている。末期ガンの12歳の猫を看取った経験を思い出すからだ。たかが猫と言うなかれ、というか、猫だからこそ、本人の意志もなく、あらゆることをこちらが決めて執り行い、本人が言葉にできないあらゆることを妄想し、最後の息まで付き添い、個人的にはかなりキツい体験だったのである。その時の気分が蘇り、登場人物に過剰に感情移入をして、本当にぼろぼろと泣いてしまう。
泣いて観終わった後に、「まてよ、気をつけなくちゃ」となる。本当に自分はこの作品そのものに感動したのかしら?単に自分の記憶を追体験して泣いただけ?


落ち着いて考えたら、結構おおざっぱな話だった。
米国では死の可能性を前にした患者に、あんな素人同然の学生カウンセラーをあてがうのかしら? 転移はともかく逆転移は、あれはないんじゃないかしら?(ネタバレか)彼女はビッチっぽく描かれ過ぎじゃないかしら?(どんなに頑張っても、普通にヘヴィだと思うけどな。恋人がガンって。)
そして、よくよく考えたらそんなに好きではなかった。あんなに泣いたのに。


映画体験に、まっさらな気持ちで突入するのは本当に難しい。
結局自分の体験や記憶に基づいて観てしまう。「泣けた」とか「感動した」って、どの位が映画そのものに対する純粋な感情なのか知らん。


今年とりわけそう思ったのは、『監督失格』だった。もう各方面絶賛と涙の嵐で、だから私一人位がとんちんかんなことを書いても、別にいいだろう。


前半、監督と女優さんの自転車旅行の記録映像が長々と続いた。つらかった。
何がつらかったかというと、監督の甘え口調だ。
「"この女自分のものだ!"と思った途端にこういう甘え口調になる男の人っているよ…」と、なんとなくうんざりした。
どうしても同性側の気持ちを考えながら観てしまうので、ああ、奥さんのいる人にこういう甘え声を出されるのは、かなり寂しい気持ちにならないか、などと妄想してしまう。
"奥さんがいるからダメなの?"などと言われても、ずるいよそれは。自分を一番の椅子に座らせてくれていない人から好きだ愛してる運命だなどと言われるのは、逆にかなり孤独だ。ただ、それでもそう言ってもらえるのは、自分がこの世にいる許可証になる。
このままじゃだめだ、と「友達」扱いしてみたり、仕事相手と割り切ろうとしたり、麻薬から抜け出そうともがくような逡巡(勝手な妄想ね)。


そして女優さんのお母さんがかなりの猛者で。女手一つで事業を立ち上げ、素敵にかっこいいのである。
逆に、お母さんが一人であれだけ頑張っちゃってると、甘えられない部分もあるだろう。どれだけ落ち込んでも、ああこんなツマんないことで泣き言吐いたら、お母さんに恥ずかしい、お母さんはこんなこと一人で乗り越えてきたんだろうし、笑われちゃうかも。


もうひたすら、女優さんに代わって自分が追いつめられるような気分になって、つらいのだった。
そして結局、つらさは後半最高潮に達し、映画は涙のうちに終わる。ああ、何だか自分も孤独に死んでしまうんじゃないか、というような絶望感に苛まれて、ぐらんぐらんしたまま映画館を出てしまった。


男性陣がおそらく「俺たちの由美香」を追悼している映画館で、(もちろんそっちに共感できるはずもなく)ひたすらこの鎮魂映画を「いいトシして人生逡巡したままの独身女」としてとんちんかんに観てしまい、勝手に落ち込むとはこはいかに。なんだか視野が狭いのである。今年は特に狭かった。


もうちょっと来年は余裕を持って、高みの見物をしたいものだ、と思った次第である。