映画とどこかまで行こう

主に観た映画の感想を。新作・旧作、劇場・DVD鑑賞混じります。時々テレビドラマも。

ビッグ・アイズ

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ティム・バートンと言えば、描くキャラクターの大きくて哀しい目。大きな哀しい目つながりの題材。

長い間精神的に虐げられる話だろうと覚悟して観に行ったけれど、思ったよりも見ている側が感じるストレスは少なくて、諸々はさらっと流れて行った。ちょっと拍子抜けする位。だから主人公の苦悩や、娘の気持ちや、一体どうやって母と娘が「覚悟」を決めたのかはもう少し掘り下げて欲しかったと思う。

これが、作品としてとても好きだったらまた受ける印象が違ったかも知れない。監督はこの絵のファンらしいから、もっと思い入れを込めて作ったのだろうに、私は正直、この絵があまり好きではなくて、それを受け止められないまま見てしまった。むしろテレンス・スタンプ演じる美術評論家が批判する意見に頷いてしまった側(パーティでの「防御」シーン、素敵だった!)。

「作品の良さ」が分からないから、商売のノウハウを確立したのは旦那さんの方だし、ビジネスモデルを軌道に乗せ、知名度も上げたところで、実は画家は別の人でした、という話題を投入し、上手くやれたと言えないこともないな…などと、考えてしまう。あの旦那さんのプロモート抜きにあの絵はヒットしなかった。量産型アートっていうビジネスがいかに生まれたか、なんてちょっと感心したり。

とにかく夫役のクリストフ・ヴァルツの胡散臭い人演技満載で、眺めているだけで楽しい。そして彼が一番恐ろしい場面がいかにも『シャイニング』で、これは笑う所なのだろうかと思っているうちに終わった。妻のストレスがクライマックスとなったであろうシーンなのに。

それにしても、 同じ話を、法廷で被告としてするのと、テレビでアーティストとしてするのとでは、受け止められ方が全然違うんだな。テレビでやってる「泣ける感動の実話」も、法廷で詐欺罪で訴えられた人がそのままの話術で話したら失笑されるんだろう。人の話はフラットに聞こうと思った。

裁判長は面白かったし、ラストはすっきりする。だから、まあいいか。

2014年良かったもの

■2014年公開作ベスト

  1. 『馬々と人間たち』(ベネディクト・エルリングソン)

  2. 『アバウト・タイム』(リチャード・カーティス

  3. グランド・ブダペスト・ホテル』(ウェス・アンダーソン

  4. 『0.5ミリ』(安藤桃子)

  5. 『マップ・トゥ・ザ・スターズ』(デビッド・クローネンバーグ

  6. ダラス・バイヤーズクラブ』(ジャン=マルク・ヴァレ

  7. 『滝を見にいく』(沖田修一)

  8. 『ぼくを探しに』(シルヴァン・ショメ

  9. 『エレニの帰郷』(テオ・アンゲロプロス

  10. 『物語る私たち』(サラ・ ポーリー)

 

1は、馬とともに雪の平原で遭難した時の対処法(馬を殺してお腹の中に入る。正しい方法として存在するらしい)や、アイスランド人の酒への情熱(通りすがりのロシア船に「酒売ってくれー!」と叫んで馬ごと海に飛び込む)など、色々とびっくりしたので忘れられない。2はビル・ナイが格好良過ぎて2回観たので個人的アイドル映画。3はこの監督作品、初めて凄くいいと思った。

 

映画は本数を観た割には印象に残ったものが少なかったけれど、名作が少なかったからというよりは、自分の感受性が鈍い年だったせいではないかと思う。やっぱり姪っ子を亡くしたのは大き過ぎる事件だった。

 

■旧作ベスト

 

『斬る』(喜八/ヴェーラ岸田森特集)

死神博士の栄光と没落』(エロール・モリス/ドキュメンタリー/ヴェーラ ナチスと映画特集)

『この庭に死す』(ブニュエル/三大映画祭週間/ヒュートラ渋谷)

『可愛い悪魔』(大林宣彦/火サス/ヴェーラ岸田森特集)

 

ヴェーラさまさま。『可愛い悪魔』は凄過ぎて、後で友達と「語る会」を催した。

 

■良かったTVドラマ

 

『SHERLOCK3』

『ゲームオブスローンズ シーズン3』

『BORDER』

『Nのために』

『昨夜のカレー、明日のパン』

 

テレビばかり見ていた気がする。例年よりもドラマはたくさん観た。『花子とアン』は伝助が退場した辺りで挫折した。

 

■良かった本

 

『低地』(ジュンパ・ラヒリ

『海うそ』(梨木香歩

悪童日記』 三部作(アゴタ・クリストフ)読んで映画も観た
マクベス』読んで『蜘蛛巣城』観た
テンペスト』読んで『プロスペローの本』観た

 
本はあまり読まなかった。シェークスピア一気読みを企てたけれど、5冊読んだところで止まっている。

■ワースト映画
るろうに剣心〜伝説の最期編』

このシリーズは基本、アクション100点ドラマ0点なので恨む筋合いではないが、これはドラマ部分のグダグダが過ぎたと思う。福山出演部分は、物語上絶対に必要だと理解は出来るけれど、寝そうだった。
 
■舞台
『皆既食』
TLで評判が良かったのと、生瀬さんを舞台で見てみたくてふと行った。なんていい声!そして岡田将生くんがはっとする位綺麗で、この役者さんのこの時期を生で観られて良かった(リーガルハイではあんなに嫌いだったのに!)。
コクーンシートが見辛くて、後日いい席でもう一度観た。
 
舞台はあまり観ない分、行く時には「せっかくだから」と、比較的派手で大掛かりなものを選んでいて、観てすぐに忘れてしまっていたけれど、もっとシンプルなものの方が楽しめるのかも、と気づいた作品。
 
『海をゆく者』
上記を踏まえ、ベテランの舞台役者さん結集の会話劇。声や動きにうっとり。浅野和之さんは特にまた観たい。
 
道成寺
念願の!
乱拍子で静まり返った時にお腹がぐうぐう鳴って恥ずかしかった。
 
『半蔀』
袴能で観た。装束や面がなくとも、女性役は女性らしいたおやかさはかなさ。

 

凶悪 :ポスター最恐

山田孝之が好きなので、出演作はとりあえず観る候補に入れる(これを山田枠と呼ぶ)。しかも本作はピエール瀧リリー・フランキーが世にも恐ろしい犯罪者を演じるということなので、ずいぶん前から楽しみにしており、なるべく内容の情報を入れないようにして公開を待っていた。

そして、こちらも楽しみにしていてリリーさんが良き父を演じる『そして父になる』は、リリーさんに恐ろしいイメージがつく前に先に鑑賞を済ませ、実話を元にした凶悪犯罪ものだということで、以前観た『冷たい熱帯魚』級の疲労感とストレスを覚悟して、体調万全にして臨んだのであった。

結果、面白かったけど、そこまでの覚悟は必要なかった。考えてみれば、本作は主観が事件を取材する記者や罪を告白する側なので、主人公視点で「殺される!」的な恐怖やストレスを味わう必要はなく、終わってしまったことの傍観に徹することができる。あくまでも観客のポジションは他人事の覗き見。安全な場所から恐怖を楽しむ、犯罪ルポに興奮する野次馬そのもの。

観た後で原作も読んでみて、映画として実にうまくまとめてあるなぁと感心した。拾うところ、削るところ、改変するところが的確で、複雑な事件を分かり易く見せているし、映画としてのテーマも加えてある。

原作は淡々としたルポに徹し、最後に、衰退しつつある紙媒体のジャーナリズムにしかできないことへの誇りが感じられたのに対し、映画の方は、「"凶悪"とは何か」という点に焦点を当てているように思った。主人公(記者)側の家庭状況を加えることで、犯罪者側の凶悪さだけではなく、犯罪に魅せられる側の狂気やいやらしさや、犯罪にはならないけれど誰かの人生を犠牲にする可能性まで、きっちり見る側に気付かせる。また、見ているうちに告白者の死刑囚にちょっと思い入れてしまっても、きっちりこの人は人殺しなのだと気づかせてもくれる。

凄く分かり易い映画だ。観ていて頭を使う必要がない…と書くとなんだか褒めていないように聞こえるかもしれないけれど、言いたいことをきちんと伝える技術があるということだ。

ただし全てを鑑賞中にクリアにしてしまう分、尾を引くものが少なく、案外印象に残らなかったような気もする。上手な映画になんてことを言うんだと自分でも思うけれど、そこが何だか惜しく感じた。ポスターが一番恐かったなぁ。

ところで主人公の家の本棚にみっしりハヤカワミステリが並んでる場面があったけれど、あれは主人公が元々ミステリ好きで事件にのめり込み易いキャラだということを表現しているのだろうか。

地獄でなにが悪い:園子温ふたたび

この監督さんの作風はクド過ぎて、それが好きな時も嫌いな時もある。

ヒミズ』を観た時には作り手の自意識ばかりが鼻につき、妙にむっかついて、この程度の代物で震災直後の被災地に来んなよばかばかばかばか(私は東北人ですので)、テーマ性の強い作品はもう勘弁、と思ったけれど、本作はユーロスペースで何度もかかった予告が非常にばかそうで、楽しそうだったので観てみた。

 


映画『地獄でなぜ悪い』予告編 - YouTube

 

内容は予告通り。ヤクザが自分の娘を主役にした映画を作ろうと、行きずりの不運な青年と映画狂を巻き込んでドタバタする話。付け加えるなら、予告で想像されるよりも血糊はかなり多めで、手足頭もぽんぽん飛ぶ(作り物っぽくてあまりグロくはないし、痛そうでもないが)。 ちなみにこの予告は、期待の持たせ方やネタの出し方が結構上手いと思う。

脳味噌を1ミリも使わずに目の前の物を単純に楽しめた。おっきい映画館で大勢でゲラゲラ笑いながらの映画鑑賞はいい。これからもバカそうだったら観よう、園作品。

ちなみに私はヤクザ映画への思い入れは一切ないので、あのへんが○○へのオマージュなんだろ?わざとらしい!みたいな余計なストレスがなかったのも幸運だったと思う(この監督さんの作風でオマージュは、非常にウザいだろうと想像)。

あと20分短ければ最高だったとは思うものの、二階堂ふみの色気と堤真一のニャンコ顔(あんな顔ができたとは)でカバーされて、まあよし。そして、一瞬だけれど久々につぐみさんが観られたのも嬉しかった。

 

長谷川博己の学生時代役のコが体つきとかそっくりで、よく見つけてきたなぁと感心した。

それにしてもユーロスペースであんなに予告がかかっていたのに、上映館はバルト9っていうのは一体どういうことだったのか。映画館詐欺もいいとこ(バルト嫌い)。

クロニクルった

ツイッターで評判が良かったし、都内限定公開1000円だというので、カケラも知識を入れずに行ってみた。いつ行っても1000円ていいよね(Tohoはネット予約時に楽天のポイント使えるのもいいよね)。

予告編もチラシも未見で基本設定すら分からない。映画が始まって初めて、フェイクドキュメンタリーみたいな手持ちカメラ映像(POV方式って言うのかな)だと判明。

どうやら男子高校生の主人公が、カメラを手に入れ、日常を記録することに決めたという設定らしい。映像から判断するに、彼は学校でいじめられっ子…とまではいかないまでも、雑魚扱いされている気配。だからカメラは撮影者と敵対する世界との間にある楯になったり、撮影者がそこにいていい理由(言い訳?)になったりもする道具ということなのだろう。つまりこの状態から後々、映像に主人公が多く映るようになったり、カメラが要らなくなったりしたらハッピーなんだろうけれど…。

そして主人公は偶然、仲良くしてくれてる従弟と人気者の同級生とともに、超能力を身に着ける。

 

高校生+いじめられっこ+超能力(ああ!何故か嫌な予感!)

 

さて、学校では冴えない主人公。家庭はどうかというと、母親は重い病気で自宅療養中(貧しいため十分な治療が受けられないようだ)、父親は失業してやさぐれているようで、あまりうまくいっていない。というかこの父親、妻のことは愛しているようなのだが「そして父になれていない」タイプで、例えるならもし妻がお産で亡くなって子供だけが残されたら、「かーちゃんはお前のせいで死んだ。お前が死ねばよかったのに」と子供に言い放って酒びたりになる系統に見える。

 

高校生+いじめられっこ+超能力+不幸な家庭環境(あああああああ!!!)

 

若気の至りパワーと、どこにも居場所がないフラストレーションと寂しさ、怒り、そして超能力。主人公演じる役者さんの繊細で哀しげな風貌も相まって(ちょっと昔のディカプリオにも似た感じ)、これが平和に終わるわけないという不安な気持ちと、どうか善良な友人たちと一緒に幸せになって欲しい、と祈る気持ち。

予備知識皆無だったため、もう本当にリアルタイムのドキュメンタリーを眺める気分で楽しめたし、少なくとも予告は観なくて正解だったかも。ちょっと出しすぎだもの(一番最後につける)。

3人は最初は超能力でいたずらにいそしむのだが、途中で二人の友人には良心の歯止めがかかる。「生き物には使わないルールにしよう」。主人公だけは納得しかねていたこの善良でまっとうな判断は、どういう場所から生まれるのだろうと思った。愛される居場所がある者の心のゆとりなのだろうか。

ここで子供の発達について考えてもしょうがないけれど、あの2人と1人の間にひかれた線を、どうか主人公に越えて欲しい、と祈った。まぁ善良さは人を救える時もあるし、善良ゆえ救えないこともある。

 

青春残酷物語としてとても良くできていたし、長くない尺でかちっとまとまっていて綺麗。しかし嫌な予感が消えないまま全編緊張が続き、とてもくたびれた。実に切ない話だった。

 

↓この予告編は出しすぎじゃない?


映画「クロニクル」予告編 - YouTube

 

それにしても、こうして見ると人助けのために能力のすべてを当然のことのように投げ出せるスーパーヒーローって凄いものなんだな(実際になれる人っているのかしら?)。

そして父になる:サスペンス映画よりも

同時期にやはり楽しみにしていた『凶悪』が公開で、そちらのリリーさんが世にも恐ろしい悪役だということなので、怖いイメージがつく前にと、こちらの「いいリリーさん」を先に鑑賞することにした。

ストーリーは「赤ちゃん取り違え事件」がベース。片方の家族は、裕福だけれど父親が家庭を顧みない。もう片方は、貧乏だけれど温かい家庭を築いている。前者の育てっ子は内に秘めたところのある静かなタイプで、後者は賑やかでやんちゃ。さあどうするのが幸せ?正しい?…と、図式的にはものすごーく型にはまっていて、粗筋だけ聞いたら鼻につきそうですらある(でもそういう土台があるから、海外の人にも分かり易いのかな)。

しかし実際に映画を観てみるとそれぞれのキャラクターがやたらと生々しく、誰もが本当にいそうな感じ。冷たい父親にも色んなトラウマや迷いがあり、「温かい家庭」側も完璧に善良な夫婦ではなく下衆でヤンキーな所があったりし(つまり真っ白いリリーさんではなかった…)、どっちがいいとか悪いとか、白黒つけられなくなる。

基本的には主人公は冷たい父親役の福山雅治で、彼が事件をきっかけに「父親とは?」を見直し、時に相手方の親にライバル心を燃やしてムキになったりもして、ようやく「父」のスタートラインにつくまでの成長物語。

彼は取り違えが発覚して初めて、ちゃんと子供を見る(今までは理想を押し付けるばかりで、子供の表情など見やしなかった)。実の息子に自分と似た所はあるだろうかとじーっと眺め、育て子が実の父親といる所の表情を眺め、はてあの子は自分といる時にどんな顔をしていたかしら?と家でも眺める。今まで気づかなかった細かいことがたくさん見えて来る。その視線につられ、こちらもそれぞれのキャラクターの小さな癖や、言葉や、仕草に敏感になり、やたらと色んなことを想像させられ、さらに自分自身の経験も蘇り、どんどん全員が好きになってしまう。一体結末がどうなっちゃうのか、下手なサスペンス映画よりもどきどきし、彼ら全員の幸せを心から祈った。

タイプの違う二人の父親像が際立つけれど、私は同性である母親の方にも共感してしまい、「どうしてお腹の中で10か月育んでいたのに、お腹を痛めて産んだのに、全く気づかなかったのだろう?」という罪悪感と絶望感を想像して胸が潰れそうになったり、しょんぼりした子供を抱きしめた時、おずおず子供が背中に手を回してきたことに、どんなに胸がきゅっとなったろうと切なくなったりしながら、それぞれきちんと描かれた母親像に監督の観察眼を見た気もした。

(↓この「特報」位が情報量としては丁度いい)

そして父になる 特報 - YouTube

 

序盤、2組の親子が対面し、福山が実の息子をじーっと観察している場面で、リリーさんとその育て子が、二人ともストローをくちゃくちゃ噛んでしまっている…という箇所があった。遺伝で似ることもあれど、生活を共有する中で似て来るってことも本当にたくさんある、ということがその後も出て来る。ウィンク、口調、お箸の持ち方、まめ知識…。あの二組の家族が、映画が終わった後も、何気ないけどかけがえのない日々を積み重ね、子供たちはそこからどんどん色んなこと(しょうもないものも含)を吸収して、心豊かに幸せでいてくれたらいいなと思う。

出演者全員が素晴らしかったけれど、特に主人公の育ての息子役を演じた慶多くんの黒目の綺麗さ!黙っているけれども心の中に色んな思いがある(ように見える)雄弁な黒目は忘れ難い…。

以下、まとまらない雑感

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ジンジャーの朝 : "Ginger & Rosa"より合う気がする

年をとってから青春映画を観ると、困ったことに親の視点で観てしまう。もちろん、主人公のことも「あぁ、自分にもこういう時があったよ」という目で眺めるのだが、同時に親側の「ひとりの人としての苛立ち」にも気持ちを傾けてしまい、頭の中が忙しいことになる。

本作もそういう映画だった。

時代は冷戦下。アメリカとソ連は一触即発状態で、いつ両国の核ミサイルが発射されヨーロッパが壊滅するか分からず、社会全体がピリピリしていた時代。

主人公の母親は若くして娘を身ごもり、画家になる夢を諦めて出産子育て。稼ぎの少ない旦那のもとで、イライラとやりくりしている。父親はのらくらしたアナーキストで、戦争に行かずに監獄に入れられたのを誇りにしており、ジャズを教えつつ女子生徒とデキちゃったりなんかして、「親の自覚・夫の自覚」というものが一切ない。甲斐性なしのくせに逆ギレし易く、妻とも上手く行っていない(という書き方でもう、私がこの男を良く思っていないのがバレてしまうね)。つまり、こちらもいつ破滅するか分からない状況だ。

こういう両親の場合、若い娘は一見カッコイイ父親の方に肩入れし、母親をだっせえと思ってしまうのが世の常。嗚呼、母親のフラストレーションいかばかりか…。全部、全部あきらめたのに!!!(…という気持ち丸出しでイライラするのも、ろくな結果を生まないのだが)

主人公は上手くいっていない家庭の中でなんとなく孤立し、最初は父親に添おうとするも裏切られ、核廃絶運動の方へ気持ちを傾ける。「今、世界を救わなくちゃいけない」。その「世界」は、地球全体でもあるし、主人公がまさにいる日常的な世界でもある。日々のフラストレーションとの戦いと核兵器との戦いは、ほんとうにどちらも大問題だ。まだ若くて視野も狭い中で、主人公のパワーが片方からもう片方へ不安定に流れて混乱していく様子には、「いずれ絶対遠くまで見えるようになるし、楽になれるよ!」と言ってあげたくなったり。

 監督は実際に冷戦当時、核廃絶運動に参加していた経験があったそうだ。その時代についての映画を、どうして今撮ったんだろう?

「社会へのフラストレーションと自分自身の未来が見えないことへのフラストレーションが大きなパワーを産む」…という現象が、今まではなかった地域で起き始めたことも一つの理由かも知れない。当時と似た空気を感じているのかなと、勝手に妄想した。文化が違っても、人は似た様なことを世界中で繰り返し繰り返し、しているのかも。

この映画、現代はジンジャー&ローザなのだが、最初のうちは幼なじみの二人の少女の話ではあるものの、途中からぱっきりと分かれてしまうし、あまりローザ側の葛藤は描かれないので、邦題の方が合っていたと思う。


映画『ジンジャーの朝 ~さよなら、わたしが愛した世界』予告編 - YouTube

 

(ところで先日、冷戦下ですんでの所で核ミサイル発射を食い止めた人の記事がBBCサイトに出ていた。その夜、当直でいてくれてありがとう!)。

 それにしても、このスカした父親が口ばっかで役立たずで本当に酷くってね。

でも、こういう人がかっこよく見えた時期は自分にも確かにあったし、例えば「思想を持って戦争に行かなかった」という事実だけ聞いて人となりを知らなければ、こつこつ堅実に働き、暮らしを立てている人よりも、こういう人が「かっこいい」ということになってしまうんだよな。人を見る目には気をつけねば、と、何故か必要以上に自戒の念を持った。

母親の方は気持ちを切り替えて以降、もの凄く綺麗になるのだが、そうなったらそうなったで娘が近寄りづらくなってしまうのね…。母親とは本当に難しいものよ。