映画とどこかまで行こう

主に観た映画の感想を。新作・旧作、劇場・DVD鑑賞混じります。時々テレビドラマも。

記録2024[読書]

去年はあまりにも記録しな過ぎたので今年はここに読了本を。

嘘の木 - フランシス・ハーディング/児玉敦子 訳|東京創元社 (tsogen.co.jp)

19世紀英国が舞台。博物学者の父親が密かに遺した「人間の嘘を養分にして、真実を見せる果実をつける木」と、彼の死の真相について探る少女のお話。

気軽に読めるヤングアダルト向けのファンタジーミステリーかなと思ったのだが、あからさまに「頑張れ女の子!」もので、抑圧され無名化されてきた女性を応援する意図が前に出過ぎていて若干うっとおしかった。昔『アリーテ姫』を読んだ時の印象と似ている。

遺体の写真を撮る習慣は面白かった。亡くなった後で、遺体を生きてるみたいに椅子に座らせたりポーズを取らせたりして家族写真を撮り、写真屋さんが目を書き足す。ポストモーテム・フォトグラフィーと言い、19世紀英国で流行っていたらしい。そういう写真のコレクターもいるのだろう。

2017年映画ベスト10

  1. パターソン
  2. 帝一の國
  3. 女神の見えざる手
  4. 夜明けの祈り
  5. ローサは密告された
  6. 網に囚われた男
  7. ドリーム
  8. お嬢さん
  9. T2 トレインスポッティング
  10. 十年

 

1. 不穏さを感じる人と幸福を感じる人とに分かれていて面白かった。私は後者なのだが、その幸福な「ありふれた日常」は、あの夫婦が今までの人生それぞれ色んなことを乗り越えてきた上でのことで、きっとあの日々を保つのに並々ならぬ努力をしているんだろうなと、ちょっとした行動や、置いていある写真や聞いている音楽、とっさの動きに妄想をかきたてられた。そういう意味では、不穏さの上に築いた幸福と言えるのかも知れない。

あの奥さんは一見不思議ちゃんなのだが、起きなくてもいい時間に毎朝起こされても、にっこりして「今日はこんな夢を見たの」と話しだすなんて、なんて偉いのだろうと感心した。そこも「苦労の末の平穏を大事にしている」と思った理由の一つなのだが)、でもそれは私が寝ぼすけだからなのだろうか?

 

2. 楽しんだという点では去年一番かも。映画館で複数回観てBDも購入。むしゃくしゃした時に観ると本当にスッキリする。ばかばかしく極端な世界を役者さんたちが全力で大真面目に演じていて実に実に素晴らしい。長い原作のまとめ方も見事。

イケメン勢ぞろいということで女性の観客が多かったのだが、内容は男子校の生徒会を舞台にした結構ガチな政治抗争。もっと男子5人ぐらいでわいわい観てほしいなぁと思いながら映画館にいた。

この映画で覚えた間宮祥太朗やら竹内涼真やら志尊淳やら、若手俳優さんたちがこの後続々と台頭。キャスティングの先見の明。

 

3. これも娯楽作。主人公のロビイストが戦うのが銃規制法に反対する一派…ということで一見社会派に見えるのだが、あくまでそれはネタ。がっちりしたスマートな脚本とキレッキレの演出でラストまでぶんぶん気持ちよく振り回されて、「面白かったー!」となったのが気持ちよかった。

『アイ・イン・ザ・スカイ』で虫型のスパイカメラが出てきて、電池が切れて肝心なところが…という場面があったのだが、本作では生身の虫を細工してスパイ用具に活用していて、本当かどうか全然分からないが虫にも油断ならない世の中だ。

 

4. 過去の実話を元にした作品。二次大戦中に兵士に乱暴されて身籠ってしまった修道女たちと、彼女たちを助けた女医の物語。残酷で哀しいことなのだが、絵画のように美しく静かな映像や、終わり方のまるで童話のような後味の良さには祈りが込められているようだった。

同じようなことは今でも世界中で起こっているし、宗教が人を助けることもあれば、正しい医療の妨げになることがあるのも、同じ宗教を信じていても解釈が人によって全然違い信者間でも考え方に溝ができてしまうのも、今も昔も変わらない。だからこそ今、作られた映画なんだろうと思う。

 

5. フィリピンでは麻薬があまりにも蔓延しており、大統領が麻薬撲滅のため、麻薬に関わった人は瞬殺でいいや、などと言い出している状況である…ということをニュースでちらっと知るわけだが、一体どういうことなのか感覚的によくわからず、映画を観る。これはスラム街のタバコ屋のおばちゃんが副業で麻薬を売って密告され、逮捕される話。

もちろんおばちゃんが麻薬を普通に売っているなんて、成程な状況なのだが、しかしまず警察側の腐敗ぶりが冗談みたいに凄くて(彼らには彼らの事情があるのだろうが)、逮捕したらまずお金も携帯もその他金目のものも没収。さらに高額の見逃し料を要求までしてきてまるでヤクザ。改善するならまずそこでしょ?となった。

その国に行ったとしても絶対に見られないような世界を覗き見るような作品。本作があんまり面白かったので、この後TIFFやフィルメックスでもフィリピンの作品を観て、2017年は私のフィリピン映画元年。

 

6. 北朝鮮の漁師さんがエンジントラブルで韓国側に流されてしまい、えらい目に遭う話。北朝鮮に対する韓国の目線というのも感覚的に分からなかったので、興味深く観た。本国ではどんな受け止められ方をしたのだろう。キム・ギドクの映画なのに比較的エンタメ寄りで分かりやすく、バランス良く作られていてまるで別人。それだけデリケートな題材なのかも知れない。

この後、船が流れ着いたり、国境越えようとして発砲される人がいたりといったことがあるたびにこの作品を思い出して生々しい恐怖を覚えるので、ちょうど観るべきタイミングだった気がする。

 

7. NASAで活躍した黒人女性たちの物語。黒人はトイレも交通機関の座席も、コーヒーポットすら別にされる時代が舞台で、もっと嫌なエピソードを覚悟していたのだが、「実際はもっと酷かったんだろうな」と想像させられつつそこまでどぎつい場面もなかったし、悪いことの後にいいことをちゃんと持ってくる匙加減が上手く、また女性たちのパートナーがみんな足を引っ張らないスマートな男性ばかりでさわやかだった。

主人公の女性たちはもちろん天賦の才があるのだが、それだけではなく、タイミングよく声をしっかり上げること、来るべき時を予測して準備すること、下調べをして戦略を立てておくこと、などなど、「えー天才でしょ?関係ないもんね」とならずに色々学べる点も多く。「よーし私も頑張るぞ!」と背筋をのばして映画館を出られる感じ。

また、差別って本当に効率の敵だね無駄無駄って実感させられた。なんだか正義感に満ち満ちて「差別は良くないことです」って叫ぶより、「だって時間の無駄でしょ?」で済ませた方が気持ちが良いなと。

 

8. これはずっと面白いとは聞いていて、パク・チャヌクは好きだし、期待に胸躍らせつつ公開を待っていたのだが、期待を上回る凄さだった。舞台は日本統治下時代の朝鮮半島。孤立したお屋敷に潜入した、実は裏組織から送り込まれたメイド。莫大な遺産の相続人である美しいお嬢様。遺産を狙い彼女を誘惑するおじ。秘めやかに行われる淫靡な朗読会。濃密になっていくメイドとお嬢様の関係。セットから世界観から作りに作りこまれた変態淫靡エロ映画。日本関連部分は日本人が観るとトンデモなのだが、それすらふっとばしてしまう熱量に酔いしれた。

亡くなった吉野朔美が好きそうだなと思って。ああ死んでしまったらその後に作られた映画は観られないんだな(それとも観放題かしら?)。

 

9. 続編製作の話を聞いた時はまさか!いらないでしょ!と思ったものの、実際に観てみたらとても良い続編だった。1作目のコピーは「未来を選べ。」だった。さあその未来とは? 突きつけられた。突きつけられたが、人生は美しいままでは終わらないし、それでもさらに先へ先へ続いていく。

前作と比較して街が、荒廃している所も新しくなったところもあって、あの時の若者たちのその後の人生みたいだったのも印象的。

 

10. 香港の10年後を描いた5本の短編によるオムニバス。ただよう絶望感に暗澹としつつ、最後の作品のラストに光も見る。そして、作った監督さんたちは無事なのだろうか、その後も自由に作品を撮り続けていられてるのだろうか、と心配になり、心配になったことにまた暗澹とする。とても勇気のある作品だったと思う。

この企画は日本でも是枝監督プロデュースで進行中で今年公開されるようなので、一体どの位このオリジナル版に匹敵できるのだろうかと、楽しみにしている。

 

話題になった中では、ノクターナル・アニマルズは年明けに鑑賞。ELLEやベイビー・ドライバーもこれから予定あり。トニ・エルドマンは観ていない。散歩する侵略者はスピンオフの予兆の方が好きだったので、ドラマベストをやるならそっちに入れるかな。

東京国際映画祭2017で観た11本の記録(コンペ以外)

  • ワールド・フォーカス
 
Underground [ Pailalim ]
監督:ダニエル・R・パラシオ
バンギスは家族とともに墓地に住む貧しい墓掘り人。娘が病気にかかり、入院の費用を捻出する必要に迫られた彼は危険を承知のうえで、最近埋葬されたばかりの棺を掘り起こし、装飾品や遺体を横流ししてカネに換えようとするが…。日々の暮らしのためにダーティな行為に手を染める庶民を描くフィリピン映画は少なくない。『ローサは密告された』では、家族経営の売店の女主人が麻薬を平然と扱っていたが、本作では墓掘り人が違法な墓荒らしへとエスカレートしていく。パラシオ監督はブリランテ・メンドーサ監督が主宰するワークショップに参加し、長編1作目となる本作でただちにサンセバスチャン国際映画祭に入選した逸材である。
 
フィリピンの、墓地に住む人々の話。墓と言っても色んなランクがあり、底辺だと横穴マンションタイプで壁面みっしり(お棺を横穴に納めてコンクリートで穴をふさぐ。場所がなくなると、古そうなやつを掘り出しちゃったり)。住むのはそういう墓ではなく、おそらくお金持ちのもので、動物園の檻みたいというのが一番近いか。装飾つきの鉄格子と屋根、床があり、中に石棺がある。扇風機やテレビを持ち込んでいたりして(電気はどこから…)、寝るのは石棺に布団を敷いて。時に警備隊が来て追い出されるが(その時、持ち物は墓の屋根に上げとく)、管理人に1人いくらか払ってまた入れてもらう。
本当にそういう暮らしをしている人たちがフィリピンにはいるらしい。そして、墓地レベルも色々あるようで、とても危険で映画撮影なんかしていられない場所もあったそうである。
「墓に!住むのか!」とこれを観て驚愕したのだが、その後別のドキュメンタリー番組で、リベリア元少年兵が墓地に住んでいる様子を観たので(そちらは石棺に入って骨と一緒に寝ていた)、結構住むケースは多いのかも知れない。
「知らない世界を知る」という意味では、本作は映画祭で一番印象に残った。
 
 
ポップ・アイ
Pop Aye  
監督:カーステン・タン
失意の建築家がバンコクの街中で幼いころ飼っていた象のポパイと再会。かつて一緒に育った農場をめざして象と人間の旅が始まる。サンダンス映画祭で話題沸騰、新人女性監督カーステン・タンのゆったりゆっくりロードムービー
 
中年クライシスと、象さんとの旅。象さんとてくてく歩き、ヒッチハイクをすると、乗せてくれるトラックがあったり、ホント?タイでは普通?とわくわくする。どうやらタイでは象の移動は申請が必要らしい、などと知ったり。
しかしこれ、象さんがいて、オカマちゃんやホームレスが出てきて、チャーンビールを飲んで、都会と田舎のギャップが広くて…と、なんとなくタイのステレオタイプっぽい描き方が変に気になって、きちっとした映画ではあったけれど、何となくハマれなかった。

東京国際映画祭2017で観た11本の記録(コンペ)

9本鑑賞。お国柄が出ているものよりも、グローバルに共有できる問題を描いた作品が多かったように思う。
 
シップ・イン・ア・ルーム
SHIP IN A ROOM [ Korab v Staya ]
監督:リュボミル・ムラデノフ
カメラマンの男。偶然知り合った女と、その弟の3人で奇妙な共同生活が始まる。心を病んだ弟は部屋から外に出られず、男はある手段を思いつく…。傷ついた人々に優しい視線を投げかけ、映像が持つ力を改めて教えてくれるヒューマン・ドラマ。
 
とても不愛想で、人と人の距離感が最初掴みづらい。何故よく知らない人にそんんなことするんだろう?そんなこと頼めるんだろう?お礼は言わないんだろうか?お国柄なのか、監督独自の表現なのか、外国の映画は余計に分からないので興味深い。言葉が少ない上に、映像もとても静か。室内の映像はハンマースホイの絵みたいで静謐ですらあって。
不愛想なので分かりづらかったけれども思い返すとこれは、人が人を救おうとする話だったし、ひょんなことで出会った人に人生を良い方に引っ張ってもらえる話だった。そして自分以外の人間について想い、働きかけることは、自分のことも救うのだろう。
冒頭、列車が長いトンネルに入ってそしてそこから抜けるまでの映像があり、そこで実に分かりやすくこれから始まる映画について説明していたのだ。
「思い返すと」となる辺りがこの監督の色なのか。
 
グレイン
Grain [ Buğday ]
監督:セミフ・カプランオール
いつとも知れない近未来。種子遺伝学者であるエロールは、移民の侵入を防ぐ磁気壁が囲む都市に暮らしている。その都市の農地が原因不明の遺伝子不全に見舞われ、エロールは同僚研究者アクマンの噂を耳にする。アクマンは遺伝子改良に関する重要な論文を書いていたが、失踪していた。エロールはアクマンを探す旅に出る…。
 
トルコのモノクロSF。いくつかの国で撮影しており、それをひとつの世界として繋げるには、モノクロの方がよかったそうだ。
冒頭で子供を選別しテストするシーンがあり、選ばれた子供だけが都市に採用され、あとの人間は汚染された荒れ地に暮らし、見えない壁(そこを通ると火だるまになる)に移動を制限されている世界のようである。都市では遺伝子操作により生まれた「完璧な種」で完璧な作物を栽培しようとしているが、どうしても作物から種が残せない。何か重要な要素が欠けているのだ。
…というわけで、その事象を予言した後、行方が知れなくなった科学者を探しに行く話になるのだけれど、面白そうな要素が散らばってひとつにまとまっていない感じで、うまくノれなかった。その世界についての設定を作りこまずに、ただ自然の汚染やエスカレートする遺伝子操作、格差や差別等々、現代のグローバルな問題を思い付きでちりばめた感じ。寓話色が強いのだが、テーマがベタな感じも。映像はとても綺麗だった。
これがグランプリ。
 
ペット安楽死請負人
Euthanizer [ Armomurhaaja ]
監督:テーム・ニッキ
表向きは自動車修理工だが、裏では動物の安楽死を請け負う男。無責任な依頼主に苦言を呈しつつ、仕事を冷静にこなす。しかしある犬を生かした時、事態は一変する…。
 
猫飼いとしては避けたいテーマではあるけれども、まんま受け取るよりも、これは何かあるでしょう…と選択。この辺は映画祭の選択眼に期待。
主人公は気合の入った風貌のおっさんで、どうやらぱっと見ただけで動物の状況が把握できるらしく、ペットをつらい状況から救い出すために安楽死業をしているようだ。因果応報を信じ、持ち込んだ飼い主を説教し、たまにはケージに閉じ込めてみたり、キャッチアンドリリースの釣りに行くと言った男性をボコボコにしてからリリースしたりと、割と気まぐれに行動する。ガールフレンドは窒息マニアで、セックスの最中に首を絞めてもらいたがる。小心なくせに強がってるネオナチの男が殺そうとした犬が、あまりにも殺される理由がなかったため、主人公が飼い始め、後々揉め事の種となる(他にも理由なく持ち込まれたペットはいたのでは?)。寝たきりの父親は昔、アル中DVだったらしく、その報いになるべく長く苦しむべきだ、と主人公は信じている。
無論ペットの命を弄ぶ人は多いし、世界的にも問題なのだろう。いいところをついている。が、主人公があまりにも支離滅裂だし、起こる一連の事件が嫌すぎて、後味はどんより。(QAセッションで最後の合図は「殺せ」なのか「殺すな」なのか会場で挙手したけれど、私は「殺すな」派で、それはあの合図が元々「殺さないで」だったし、あれじゃまだ牛の頭数と見合わないから…なのだけれど、「殺せ」と解釈した人の方が圧倒的多数だった。てか、牛の件があるのに、何で最初排気ガス自殺を試みたんだろう?)
これが脚本賞
 
さようなら、ニック
Forget About Nick  
モデルからデザイナーに転身を図ろうとするジェイド。初のファッションショーの準備に余念がない。しかしスポンサーでもある夫ニックが姿を消してしまい、逆にニックの前妻マリアが家にやってきて一緒に暮らす羽目になる。ジェイドとマリアは何かと反目しあうが…。
 
妻が40になると別の若い女に走る…という男の被害者2人がわちゃわちゃする話。これから新しキャリアを育てようとしている女性と、子育てに専念してきた女性。お互いに感じるコンプレックスや、ライバル心。
そういう身勝手な男がめそめそ帰ってきたら叩き出して、女性同士できることを生かしてきゃっきゃしてくれた方がすっきりしたんだけれど、「両方取って」と言うのが新しいのだろうか。まぁ経済的には安定するけから現実的か。
 
ザ・ホーム-父が死んだ
The Home [ Ev ]
監督:アスガー・ユセフィネジャド
父逝去の報せを受け、娘が嘆きながら数年ぶりの実家に向かう。父を介護していた従弟と口論し、そして近親者が続々と集うなか、遺体の扱いを巡って事態は迷走していく…。
 
イランの映画。外国のお葬式の様子はとりあえず観てみたい派なので選択。手持ちカメラが「密着!お葬式」という感じで生々しく、泣き叫ぶ娘がとにかく騒々しく大げさ。あちらの文化ではこの位泣くのかと思いきや、訳があって。
よその国のお葬式は興味深いし、死や遺体への考え方も興味深い。「え?これってそういう話?」と途中で方向修正がかかるのも面白い。そういう意味では楽しんだが、とにかく娘の泣き叫び方で序盤から疲れてしまったのが難。
やっぱお香典泥棒みたいのって出るんだなとか、コーランって今どきはタブレットで読むの!とか(コーランを探すおばあちゃんに、「これで」とタブレットが差し出され、拒否される)、結婚式だと思い込んで楽隊を待っているおばあちゃんとか、小ネタが面白かった。買わなくちゃ買わなくちゃと騒いでいたのに結局入手できなかった「供え物」ってどんなのだったんだろう?中東舞台の、お葬式群像劇が観てみたい。
 
スヴェタ
Sveta  
監督:ジャンナ・イサバエヴァ
ろうあ者が勤務する工場で働くスヴェタは、突然リストラの対象とされてしまう。家のローンに苦しむ彼女は神をも恐れぬ行動に出る…。
 
あまりにも主人公が独善的でやりたい放題過ぎるので、一体この話はどこへ行くんだとはらはらした。「はらはら」という意味では今回一番だったかも知れない。なにせ、目的のためなら自分の子供にすら毒を盛るのである(死なない程度だったが)。
しかし落ち着いて考えてみると、新鮮な作りだった。主人公はろうあ者なのだが、夫もそうで、職場も上司含めて全員そう。みんな手話でコミュニケートしている。状況がろうあ者にとってごくフラットで、例えば、工場でリストラという話になると、いろんな人が混じっていれば「ろうあ者は転職が大変だから」など配慮してもらえる気もするが、そこは全員同じだから「シングルマザー優先」などとなる。親切な人もいれば、スヴェタみたいな邪魔者は殺せ位の気合の入った人もいる。愛されて育った人もいれば、施設で過酷な状況で育った人もいる。もちろんそんなの当然だ。当然なのだが、フィクションの中でそういう風にはなかなか描かれない。
スヴェタは苦労して家族と家と仕事を手に入れた人で、そのために注いできた強力なエネルギーがピンチになると怖い方へ発揮されるのだが、襲われる側は何にも悪くないのに、ちょっと感じが悪かったり、十分長生きしてたり、「ま、いっか」と思わされるところもあって、監督の応援を感じた。
肯定できかねるストーリーではあるけれど、これはこれで…と思わされるパワーはあった。
 
泉の少女ナーメ
Namme  
監督:ザザ・ハルヴァシ
ジョージアの山岳地帯にて、村に伝わる癒しの泉を守る一家。息子たちは独立し、父は娘のナーメに後を託すが、ある日泉の異変に気付く。ファンタジーと現実社会が溶け合い、幽玄で繊細な映像美が心を揺さぶる現代の寓話。
 
とにかく映像が静謐で美しくて息をのむ。小さな村に残る「癒しの技」「癒しの泉と主のような魚」という伝統。謎めいた儀式や、ヒロインの美しい所作。雄大な自然。
(高いところにある松明?に手を触れずに火をつける不思議な場面があったのだが、どうやっていたんだろう。燃えやすい素材にして、風で火の粉を飛ばしていたのか…)
 
しかし「伝統を守ろうとする父親と、家を継がない息子たち、背負うことを期待される娘」とくると、「自分の道をいくんだよ!頑張れ!恋しちゃえ!」と脱出を応援してしまうのだ。伝統は大事と思いつつ、でも「誰かが継いで?自分以外で」となってしまう(「誰かが喜んで継げるなら」に限った方がいいんだろうな)。
そして環境も変わっていく。村にできた工場、垂れ流される汚水、なんて要素も加わり、「癒しの泉」がそのままには保てなくなる。「昔のまま」というわけには、どうしてもいかないものだ。
これは「呪縛から解放される娘の話」と思いたいけれど、さて。 
 
グッドランド
Gutland  
監督:ゴヴィンダ・ヴァン・メーレ
ちょっとポスターでツイン・ピークスのキラー・ボブを思い出したのだが、ストーリーも何だかツイン・ピークスみを感じた。
最近見返して思ったのだが、クーパー捜査官のあの田舎町への馴染み方が凄い。ほかのよそ者は何もないね!的な態度の人が多い中、うわぁいい所だね!景色がきれいだね!コーヒー美味しいね!チェリーパイ最高!ああいずれココに住んじゃおうかな、みたいなもう絶賛具合で、そりゃあ地元の人も聞いていて嬉しいし、するんとあの小さな町に馴染み、土地に取り込まれたような形になった。
小さなコミュニティに馴染むには、ある程度「狂う」(というと聞こえは悪いけれど…「変わる」だとちょっとハマらない気もする)ことが必要なのかも知れない、などと思っていた所に本作が来て、あ、そうそう!と。
ポイントとなる人物を押さえると急に物事が上手くいきだすのも、田舎町あるあるだった。
衝撃展開になるまでがまったり長かったのが難だが、結構ぞっとできて良かった。
 
迫り来る嵐
The Looming Storm [ 暴雪将至 ]
監督:ドン・ユエ
1990年代。ユィ・グオウェイは、中国の小さな町の古い国営工場で保安部の警備員をしており、泥棒検挙で実績を上げている。近所で若い女性の連続殺人事件が起きると、刑事気取りで首を突っ込み始める。そしてある日犠牲者のひとりに似ている女性に出会い接近するが、事態は思わぬ方向に進んでいく…。
 
中国の田舎にある大きな工場の風景がダイナミックで鉄骨が美しく、工場萌えには夢のような映画。
主人公が変に事件にのめり込んでいくストーリーで、最初は事件解決を求めてストーリーを追っていたのだが、だんだん彼の妙な使命感とか、「職場の中で役に立っている人間」になりたい、いや、なっている、そのはず、という思いの強さに、一体もうどこまでが本当で、どこからが夢や妄想だったのか、どんどんぐるぐるとしてくる。その狂気に巻き込まれてしまった女性の運命にも、事件の顛末にも、そして工場の命運にも、なんだか呆然として観終わった。
 
ずーっとじめじめと暗い映像や虚しい後味も含め、個人的になんだか好きな作品。
主演が人気俳優だったようで、会場はほぼほぼ中国の女子で溢れ(あんな熱気初めて見た)、QAも俳優ラブ!に終始して、熱に中てられてしまったのも、まぁ映画祭ならではの体験か。

2016年映画ベスト

鑑賞順

 

サウルの息子』はつらくてもうたぶん二度と観ないだろうけれども、主観的な視野を映像で表現した手法は新鮮だったし、何よりも多言語を使っていたのが印象的で。ああ、実際はあんな風に色んな言葉を話す人たちが方々から集められ、押し込められていて、中でのコミュニケーションも大変だったのだ、と実感できたのが良かった(普通は映画だと1言語で統一されてしまうので)。『光のノスタルジア』で描かれた収容所と同様に、そこであったことを記録しよう、人に伝えようと必死でいる人たちが少なからずいて。万が一自分がああいう目に遭ったら、そういう人でありたいと思った。

『ルーム』は、どうやって部屋から脱出するかより、脱出できた後でどうなったかを描いていたのが良かった。やった成功!めでたしめでたし!とはならないのだ、当然。その中で、祖父が器の小さいヘタレだったのに対し、祖母の再婚相手の男性が人間的に豊かないい人で(少年と犬とを出合わせる場面の素敵さったら!)、血のつながりなんて関係ないところも良い。

アピチャッポンのアジアっぽさっていかにも西洋の映画祭ウケしそうで、映画そのものの評価なのだろうかね、などと斜めに構えていたけれど、やっぱり世界観はアジア人の目から見ても独特で、私も好きかもしれない、と自覚した2016であった。

『サイの季節』は詩を映像化した感じで、『緑はよみがえる』は映像とセリフで詩を書いた感じ、などと思った。とはいえ描いていることは過酷で哀しく、兵士が戦いよりも病気でどんどん死んでいく、というのはどこの国でも多かったのだろう。

暴力を描いた映画といえば、『ヒメアノ~ル』もあったけれど、どうも自分は人間の中の理由なき暴力性の方が、「過去にこういうことがあってああなりました」よりも惹かれる、というか、怖いと思う、ようである。

そうそう、こういうのが観たかったのよ黒沢清ー!という待ってました感。本作も東出君を上手く使っていたと思う(『聖の青春』も良かった)。上手ではないけれどハマるとぞっとする存在感。

『シング・ストリート』のお兄ちゃんを観ながら、『あの頃、ペニー・レインと』のフィリップ・シーモア・ホフマンを思い出して泣いたり。お兄ちゃんが幸せになりますように。あと、初めてうさぎの鳴き声というものを、この映画で意識した。

シン・ゴジラ』は「楽しんだ」という点では2016年1番だったかも知れない。応援しているチームのスタジアムにハセヒロが来たし(アウェイチームも黙らせる挨拶のかっこよさと、ミニゴジラが失敗した始球式をさらってゴール!)、情報量の多さにうっとりし、人の感想に、え?そんなとこあった?とまた確認に行き、3DもIMAXも初めての4DXも試し、瓦がぶるぶる動く様に毎回打ち震え(チャンバラの、人がどーんと土塀にぶつかって、一瞬して瓦がばらっと落ちたりするタイミングの美しさとか、瓦使いは日本映画の醍醐味だ!)、ひところをゴジラ三昧で過ごして幸せだった。

アイルランドのアニメはジブリの影響も色濃くて(特にトトロ)、いいものが世界中の作り手の間にぶわーっと広がって消化されて、さらに良いものになっていくさまが本当に美しかった。しかもトトロはいかにも日本らしい話で、ソングオブザシーはいかにもアイルランドらしい話で、でもそこに通じ合う物語があって、通じ合う表現方法があって。音楽も万国共通だけれど(そして本作は楽曲も良かった)、語り継がれれる物語も万国共通なところが多い。

『みかんの丘』は同時に公開された『とうもろこしの丘』と並んで素晴らしい「おじいちゃん映画」で、戦争の中でも淡々とやるべき生活を営む強さと健やかさにうっとりした。うっとりしすぎて、コーカサス地方の紛争についての講座まで受けに行ったり。「ジョージアはワインが有名で、ワイン飲みたさのあまり、ムスリムが根付かなかった。兵士は戦場に赴く時は胸ポケットにブドウの蔓を入れていく。死んでもそこからブドウが生えてくるから」というメモをとった以外、あまり覚えていないけれども。

 

東京国際映画祭で観た7本の記録(ネタバレ含む)

※データ、あらすじはTIFFのサイトより。

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スリー・オブ・アス
All Three of Us [ NOUS TROIS OU RIEN ]
102分 2015年 フランス 
監督/原案 : ケイロン
イラン南部の小さな村。大家族の中の大勢の兄弟のひとりとしてヒバットは産まれた。兄弟たちはみなそれぞれの道を歩むが、ヒバットは反政府運動に関心を持つようになる。弾圧的な政府により逮捕され、長期に渡り投獄されてしまうヒバットであるが、彼はそんなことでひるむ男ではなかった…。

 

監督のお父さんがモデル。亡命先でのカルチャーギャップを描くコメディかと思っていたら、本国での刑務所等のシーンがやたら長くて、まだ国を出ない…まだ出ない…という感じ。お父さんの精神の根っこを丁寧に描きたかったのだろうけど、間延びして感じる部分も。

でも政治犯として投獄され、そこでも反抗して独房に放り込まれたりといった重いエピソードもありながら、全体的にトーンは明るく、楽しく観られる作品だった。時々急に表現がウェス・アンダーソン風に。

イラン革命は、複数の映画で観た感じを総合すると、独裁者を倒さんと頑張って戦っていたら、なんかもっと凄いの召還しちゃった…という感じだったのかなぁという個人的な印象。

「刑務所でシャー(王)のお菓子を食べなかった英雄」がフランスに行くと、「え?シャー(猫)のお菓子を食べなかったの?何それ?」って誤解される。とある場所では命に関わる戦いだったものが、他の場所ではどうということもなくなる、この何とも言えない感じ(それと、たぶん革命後はお菓子の支給なんてなかったろうな)。

奥さんのお父さんのキャラが素晴らしく、ずっと見ていたかった。婿の手配書の似顔絵に一生懸命書き込みしたりするの。

 

錯乱
Frenzy [ Abluka ]
117分 2015年 トルコ=フランス=カタール
監督:エミン・アルペル
テロ事件が多発するイスタンブール。警察の高官ハムザは囚人のカディルを牢獄から出すよう命を下す。釈放と引き換えに、カディルはゴミ収拾の仕事を与えられ、テロ組織に結びつく爆弾の部品をゴミの中から探すことを命じられる。そんななかで偶然再会した弟のアフメットは野良犬を処分する仕事に就いていた。弟の言動に不審なものを感じたカディルは探索を始める…。

 

監督は、この物語を普遍的なものにしたかったため、敢えて場所や時代を特定しなかったとのこと。しかし、暗くて、日々どっかんどっかん爆弾テロがあり、軍用車ががんがん行き交い、人々は常に不安を抱え、怪我をした野犬を助けるのもはばかられる不穏な匿名世界は、「これSF?」とどうしても思ってしまう。家族モノや恋愛モノのように実感として「普遍的」とは自分には実感できなかったけれど、これに近い日常を送っている国の人もたくさんいるのだと、ちゃんと認識しなければとも思わされた。近い過去(や現在)に秘密警察の監視が厳しかったような国の人なんかも共感できるのかも。

兄はテロ捜査に熱を入れるあまり狂って行き、弟はつい助けてしまった野犬を匿っている不安から狂って行き、二つの狂気が交差したところで悲劇が生まれる話。

二人とも思い込みが激し過ぎるようにも見えるのだが、ああいう世界で生きるストレスは人の心を蝕むということなのだろうと思う。まだ自分には経験したことのない種類のストレスを想像しながら観た。

弟が助ける「野犬」は、テロリストのメタファーなのだと監督談。

 

ニーゼ
Nise - The Heart of Madness [ Nise - O Coração da Loucura ]
109分 2015年 ブラジル
監督/脚本 :ホベルト・ベリネール
ショック療法が正しいものとされ、暴れる患者を人間扱いしない精神病院に、女医のニーゼが着任する。芸術療法を含む画期的な改革案を導入するが、彼女の前に男性社会の厚い壁が立ちはだかるユングの理論を実践し、常識に挑む勇気を持った精神科医の苦闘をストレートに描く感動の実話。

 

あらすじ通りの物語をきっちり真面目に手堅く。

当時有効とされていた治療法に真っ向から反対する主人公の戦いは壁も多く、時にあまりに酷い邪魔のされ方に観ていて本当につらくなったのだが(特に犬好きには勧められない)、理解のある旦那さんと可愛い猫たちが、主人公にとっても観客にとっても最高の癒しだった。

電気ショック療法を観て『エンジェル・アット・マイ・テーブル』を思い出した。また観たいなあれ。 

 

ガールズ・ハウス
The Girl's House [ Khaneye Dokhtar ]
80分 2015年 イラン
監督:シャーラム・シャーホセイニ
結婚式を翌日に控えた女性が死んだ。直前まで新居のカーテンを変えていたらしい。友人たちが調べ始める。しかし女性の父親は非協力的で要領を得ない。一体何が起きたのか。本当に死んだのか? 謎解きドラマの形を借りつつ、伝統的なイスラム社会の影に踏み込む衝撃のドラマ。

 

イランの女の子たちのきゃっきゃした日常の様子が面白い。友達の結婚式に履いて行く靴を選ぶ様子とか(お店の人は聞いてもなかなか値段を言わない)、うきうき新居のインテリアを整える様子、大学風景とか(共学なのね)。「結婚式で出会いがあるかと思って張り切ってたら、男女別室でガッカリ!」なんていう台詞は、どこの世界も同じって部分と、習慣が違う部分が一度に入ってた。

サスペンスではなく、恐らく「社会の影」を描く作品なので、女性が死んだ理由は後半の彼女視点のパートで淡々と明かされたし、その習慣?常識?は衝撃だったけれど、進歩的な女性の足を引っ張るのは、結構同じ女性だったりするんだよな、それはどこの世界も一緒かも、とも少し思った(よく朝ドラで描かれる戦時中の狂信的な婦人会とか思い出した)(これはこれで"普遍的"だ)。

あの婚約者の感覚が一番想像がつかないのだが、どうしてあんな状況で死なせてしまった彼女の実家でゴハンとか食べられるんだろう。分かっていなかったのか。

そういえば本作で、イスラム教のお墓を初めて見た。凄くシンプルだった。そして、お金を払うと祈りを捧げてくれる人がその辺にいた。

 

ボディ
Body [ Cialo ]
90分 2015年 ポーランド
監督/脚本 :マウゴジャタ・シュモフスカ
オルガは自分の肉体を嫌っており、摂食障害を患っている。オルガの父は警察の仕事で毎日死体を見ており、もはや何も感じなくなっている。オルガは父を憎んでいる。父は酒に頼っている。セラピストのアンナは、オルガの治療にあたると共に、父のことも気にかける。そんなアンナは、実は肉体以上のものを信じていた。彼女は死者と交信ができるのだった…。

 

面白そうな色んな要素が上手く噛み合ず、自分はノれなかった。

映画の冒頭。水辺の木で首を吊ってる男性の周りに警察やら監察医やらが集まっていて、遺体を下ろし、さてこれからどうする?などとわやわやしているうちに、遺体がむくりと起き上がり、スタスタ歩き去った(その後、別にその生還者はストーリーには絡んでこなかった)。

後で父が娘をその場所に「仕事で来たけれど綺麗だったから」と連れて来るのだが、特にその男の話はなかった。「人が一度死んで蘇った場所」と観客は知っているから少ししみじみするのだが、娘にもそれを伝えても良かったのではとは思う。

亡くなった奥さんについての回想が、彼女がほぼ全裸で音楽に合わせて踊り狂っている様子で、しかもその音楽が♪ビキニ♪ビキニ♪ビキニDEATH!みたいな曲で、よりによって何故あれ。

セラピストが飼ってた犬が非常にかわいかった。

 

カランダールの雪
Cold of Kalandar [ Kalandar Soğuğu ]
139分 2015年 トルコ=ハンガリー
監督/脚本/編集 :ムスタファ・カラ
険しい山の上で、わずかな家畜と共に電気も水道もない暮らしを送る家族。一獲千金を夢見る父は、山に眠る鉱脈を探している。しかし、家族の目には無駄な努力にしか映らない。やがて、村で開かれる闘牛に希望を託し、なんと家畜の牛の特訓をはじめてしまう…。

 

俺は真面目に働くよりも夢を追いたいんだ!系の父親の行動はほんとうに無茶苦茶で、家族に苦労させるばかりで、奥さんや牛には心から同情するのだが、何しろ風景があまりに雄大で美しく、もう文句も何も言えなくなってしまう感じ。映画祭の大画面で、良い音(音がまた繊細で)で、鑑賞できて良かった。

下の息子に障害があって、母親は「医者に診せたい」と言っているのに父親は「いい祈祷師を頼みたい」と主張し、しかもだんだん「お母さんが祈祷師に見せたがってる」と、自分の意見を他人の意見であるかのように差し替え始めるの、あれ結構やる人いるよな(そう、環境や状況はあまりにも別世界なんだけど、でもこっちの方が普遍は感じるのね)。

しかしこのラスト、あまりにも夢を追う系のおっさんに都合が良過ぎて、いいのだろうかと思った。

この映画にも犬が出て来た。

こんなことしか書いていないけれど、これが今回の映画祭ベスト。

 

家族の映画
Family Film [ Rodinný film ]
95分 2015年 チェコ=ドイツ=スロベニア=フランス=スロバキア
監督:オルモ・オメルズ
冬休みを間近に控え、両親は一足先にヨット旅行に出かける。留守番の姉と弟は羽を伸ばして遊ぶが、やがて弟のサボりがバレ、事態は思わぬ方向に…。幸せな家族に訪れる変化を、意表を突く展開と端正な映像で描き、未体験のエンディングが観客の胸をしめつけること必至の驚きのドラマ。

 

あらすじを読んで、子供たちがハメを外し過ぎる話かと思っていたのだが、しかしそれだけではなかった。両親は海上で行方不明になるし、弟は難病が発覚し、犬はたった1匹で無人島に泳ぎ着きサバイバル生活を始め(この部分がやたら長くてドラマチック)、両親が生還したかと思ったら、弟への臓器移植がきっかけで父親と血液型が合わないことが判明し、弟の本当の父親は叔父だったとか、で、犬はどこ?とか、もう盛りだくさん過ぎて、あっけにとられた。最後まで引っ張った問題が、「さあ犬は生還できるのか?」。後で本作が「犬版キャストアウェイ」と呼ばれていたことを知った。

この作品で、子供たちが旅先の親とスカイプで映像つきで話す場面がたびたびあり、後日、他の国の映画でも似た様な場面に遭遇し、世界はそういう感じになっているのだなと思った。

無人島で頑張る犬のオットーにとにかくメロメロ。頑張れ!お願いだから助かって!と手に汗握った。映画祭スタッフはこの犬も日本に招きたかったって言っていたけれど、その気持ち分かる!

バラエティ豊かな上映作品を堪能(この節操のなさが逆に魅力なのかも)。それにしても妙に犬率が高かった。

恐くて面白かった『クーデター』のやや水っぽい感想

Twitterでの評判が良く、「下手なホラー映画より恐い」等のコメントに興味を持って、全くノーマークだったクーデター』を観た

東南アジアの架空の国に、そこで新たな職を得たアメリカ人男性とその妻、小さな二人の娘たちが入国。しかしその直後に政変が起き、外国人狩りが始まってしまう。次々と襲って来る言葉の通じない異国の人々。一家は無事に逃げ延びることができるのか?というパニックムービー。主人公一家に、彼らと同時に入国した謎の男(ピアース・ブロスナン)が程よく絡む。

家族のあり方がとても良かった。必死に道を切り拓こうとする父親、恐怖にかられつつ頑張る母親、かわいい娘たち(緊迫した場面でも聞き分けが悪いことがあったり、咄嗟に危険な動きをしてしまったりする所も生々しい)、それぞれにどんどん愛着が湧いて来る。がんばれ!どうか助かって!

土地勘もなく言葉も通じず文字も読めない外国にいるという、精神的な密室。そこでひたすら怒りに満ちた人々が襲って来るという状況は、とにかく恐かった。ちょっとほっとするとまた次が来るという緩急の付け方が上手く、緊張の連続というのは、それはそれで良く出来た娯楽だなとしみじみ。そういうパニック映画の緊張感を存分に楽しみつつも、色んなことを考えさせられもして、楽しい映画体験だった。

自分が映画を観つつ考えていたことを追うために、話は全然違う方に飛ぶ。

何年か前に、『ブルー・ゴールド 狙われた水の真実』という水資源についてのドキュメンタリー映画を観た。地球の水資源は枯渇しつつある。今後ますます貴重になり、じきに石油の価値を凌駕する。しかも水は石油と違い、人間の生死を直接分けるものである。水をコントロールできる者が力を持つようになるし、その流れは既にじわじわと世界中で進行している…というような内容。

水源や水道事業を一般企業、特に外資になんて押さえられちゃったら首根っこをつかまれたも同然なのである。

その映画の記憶が頭の片隅にある中で、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を観たら、地球の成れの果てみたいな世界で、独裁者が水源を押さえることで民衆をコントロールし、水耕栽培をやっていた。「こんな風になるかも知れない未来世界」として、理屈に合っている!凄い!と思った。

で、話は『クーデター』に戻る。

映画の冒頭のシークエンス。高級レストランのような所で、その国の首相と外国人が水道事業か何かについて密談し、話の主役である水で乾杯している。上記の流れから、「水道インフラを外資に握られたら危ないんだよ!」と思う。

当然その国の一部の人もそう思ったらしく、その場で二人は殺され、国がひっくり返る。外資に国を支配されまいとする人々は、それを敵と見なし、襲う。主人公一家もそうとは知らずターゲットとなってしまう。

この作品、敵方の描き方が非常に難しかったと思うのだ。

いくら架空の国という設定にしてあっても、やみくもに外国人狩りをするアジア人を描けば、人種差別になってしまいかねない。そこで敵方が「海外企業の食い物にされている自分の国を取り戻す」という理念を実は持っている、という設定にしてある。主人公を特に執拗に狙うのも、水道事業を支配しようとしたアメリカの大企業の社員だからだ。

そういった理由付けがされていたし、「水道は外国企業に握らせてはダメ!」という認識が既に自分の中であったので、「ありえなくもない世界」として余計に怖がれた。日本企業だっていつどこで怒りを買うか分からない(もちろん同じアジアでも、想定エリアに近い国々とは考え方や捉え方がまた違う訳で、この作品に対する印象については一概には言えない:具体例後述)。

それにしても、現代のフィクションの中で外資が抑えようとするのが、油田でも鉱山でもなく水道なあたり、やはり世界はその方向に進んでいるのかな。

ああいった政変が実際にどこかの国で起こったら、細かい状況も分からないだろうし、ニュース映像を適当に見ながら「革命だ!かっこいい!」「脱・欧米!」と、結構興奮して歓迎する人も多そうだな、とか、暴動はともかく、水道インフラが外資ってアジアに限らずアフリカなんかで起こりそうな気もするし、もしくは自国企業が握って、その会社が外資に買収されるのも可能性あるな、民営化って恐いよな、などと考えたり。

劇中、「アメリカ大使館を目指そう!」となってからは、果たして無事に着けるのか?大使館自体は無事なのか?にドキドキしつつ、『アルゴ』も思い出した。実話を元にしたあの映画では、イラン革命でアメリカ=敵とみなされ、アメリカ大使館が襲われて職員が逃げ惑っていた。特に明確に敵視されている国の大使館は、ああいう状況では機能しなくなる可能性も高い。一番関係なさそうな国の大使館を目指す方が正解なのかも知れないけど、どこが一番上手く立ち回ってくれるのだろう、などなど一家の行方を見守りつつ考えたり。

原題はNo Escape。ロケ地はタイ(設定はどこか別の国)。

なるべくタイっぽくしないように気をつけて、ロケの許可を得たのだろうけれど、しかし警官隊のシールドについてる文字は逆さまにしたクメール文字だそうで(文化に対して相当失礼だよな)、カンボジア風の衣装も多く使用されており、おかげでカンボジアでは上映禁止って記事も見かけた(現在の状況は不明)。文字は作っちゃう位のこだわりが欲しかったな。

事前に予告編は観ていなかった。動画をココに貼ろうと思ったのだが、今になって観てみると、あの場面もこの場面も予備知識なくドキドキできて良かった、という箇所が多かったので止める。

大雨の日に観たし、つくづく水と縁の深い映画だった。

 

<雑記>

*隣国がベトナムだという設定だったけれど、仮想国を勘ぐられないように、あれも名前を出さない方が良かったのでは?

*「ゾンビ映画っぽい」という感想もみかけていた。しかしゾンビ映画って「人っぽいんだけれどゾンビだから殺してもあまり罪悪感がない」という所が良くも悪くもあるように思うのだが(ゾンビが知り合いの成れの果てだとまた違うが)、これについてはそういうことは一切なかったので、個人的には「ゾンビホラー」とは別モノ。暴力や「手を下す」という行為、死はいっこいっこかなり重かった。
*そうだ、図書館も民営化は危険だよね!